2009年9月18日金曜日

ペルー旅行のこと(5・マチュピチュへ)

私は今まで、都市を旅するのが好きなんだとばかり
思っていた。

人が集って暮らし、文化があり、お店があり、
また見るべきところもあるが、
基本はそこでの生活や見聞きするもの、
人と話すこと、習慣や食の違い、
そんなものをからだでまるごと体験するのが、
エキサイティングだし、楽しいと思っていた。

ロンドンやパリ、バルセロナ、カイロ、
デリー、コルカタ、バンコク、チェンマイ、
ハノイ‥ほかにもいくつかあるけれど、
都市を中心にした観光に重点を置いていた。

今もそれは変わらない。

朝、クスコを出発したバスは、
市街地を抜けていく。

傾斜地を均すこともせずに、
ななめのまんまの土地に小屋のような家を建てて
たくさんの家族が暮らす、
貧しい地区を通り過ぎる。

彼らの、
毎日の暮らしがどんな風なのか。
どこに行って何をして、何を食べて、
何を感じているのか。
そんなことはちっとも分からないし、
知りたくても中に入っていける訳でもない。

私は、ただ、豊かな国から来た、
旅行者であるだけで、
その中で暮らしたり、話したりするには、
大きな壁があって、また立場もまったく違うから、

ただの人と人にはなれない。

どこに言っても、そういう現実を前にして、
旅をする意味なんかを、
深く考え込んでしまうことがある。


傾斜は大きくなっていき、
山岳地帯に入ってゆく。

この壮大な岩山の連なりは、
始めて目にする自然の驚異だ。

大自然を体験しに行く人、
そういう方向は興味がないと思っていたけれど、
実際、アンデスの巨大すぎる、
山並みの間をバスでゆくと、
ちょっとどんな風にも言えないような、
心のありようを感じてしまった。

イギリス人が買ってきた、ポップスが流れるミニバスの中で。

15人ぐらい乗り合わせた参加者は、
アジア人が自分だけ。

小さいな、脆いな、何者でもない、屑みたいな、
命も人間も、あっというまにいなくなってしまう。

長い時間をかけてずっと続く、
アンデスの山なみ、そして形を変えながらも、
そこに息づく生命の源、
水や太陽や土や風、

自分の小ささにくらくらする。
日々、おごらないようにしよう。


今流れているマイケルだって、
成功して、注目を浴びて、作品を残して、
愛されたり、憎まれたりしながら、
きっと、幸せな人生だったはずなのに、

あっけなく、いなくなってしまったわけで。

淋しいと思う。

結局は無になる命。
人が生きて誰かとかかわり、
何かを残していくけれど、
どんどんさよならしていくこと。

そんなことを思いながら、
バスの車窓から、山肌を眺める。

続く。

0 件のコメント: