2009年8月31日月曜日

選挙久々に行った。

なんだか最近、慌しくて、、、
何がなんだか‥わけがわからない。
そういう中でも昨日、選挙に行ったのだった。
正直、アンチ自民でもないし、
投票したい政党はこれといってなかった。。。

何をやりますと掲げることも大事だけど、
結局、どんな人なのか?
それだけかもしれないなあ。
投票しようと思うのは。

正直、誰がやっても今の状況では、
さほど変わらないかな?という感じがする。

世界を見れば、景気が良くなるわけはないのだし。

自分のことを横に置いておけば、
誰かを助ければ、誰かにしわ寄せがいくわけで、
単純に弱者を助ければ善というわけでもないよね。


お金持ちにしわ寄せがいくのはやはり良くない。
努力と頑張りで獲得した、学歴とか、
(例えばコストをかけて)東大を出た人とか、
いろんなことが平等になっていけば、
そりゃないよな~と思うだろうし。

まあ、階級がくっきり分かれていくのは、
もう避けがたい状況だと思うので、
その中で、誰もが最低限暮らせる仕組みを
作っていくしかないのかな。

2009年8月30日日曜日

小さめ同窓会へ。

昼にバレエのレッスン。

午後は、
ボストン暮らしの同級生の帰国に合わせて、
開催した、大学の友人との小さめ同窓会。

今回は男の人の話で盛り上がった。。。
あとは事件の話や近況やら。。。

今回も喋ったなあ…2時半から7時近くまで。
引っ越しの準備は全く進まず。

2009年8月29日土曜日

桂南光・米團治ふたり会

吉祥寺の前進座劇場で久々に生の落語を見る。
演目は以下の通り。。。

二乗:子ほめ
米團治:掛け取り
南光:花筏
(中入り)
米團治:高津の富
南光:あくびの稽古

米團治の「掛け取り」は十八番で、
テレビでも見たことはあったが、
さらにパワーアップしていて、最高だった!

米團治が小米朝の頃に、やはり前進座で「百年目」を見てから、
(それまでは上方は枝雀と米朝しか聞かなかったが、)
注目しはじめた。

「高津の富」は、たぶん枝雀のスタイルを踏襲したもの。
(枝雀ほど)爆発的ではないが、
富に当たると夢のお告げがあった男の、
ひとり語りの部分はかなりはまった!!

南光さんは、やはり得意ネタの「花筏」。
芸には磨きがかかり、余裕が出ていて、
大御所っぽくなっていた。

「あくびの稽古」は軽いネタにもかかわらず、
独自の演出があまりにも面白くて、
会場も沸いていた。
ついついDVDとCDのセットを買ってしまった。

CDもしばらく聞いていなかったわけだが、
生の舞台にかなうものはやっぱりない。

以前は、月に一度は、何かしら、
生の演芸、ライブ、古典芸能などに足を運ぶように
していたが、最近は年に5回ぐらいになってしまった。

しかし、また近いうちに、
しばらく行っていないし
文楽か歌舞伎にでも行きたいと思う。

余談だけど、、、11月の小三治の高座の
チケットを予約しているつもりだったのに、
既に完売していたことを知ってショックだった!

2009年8月28日金曜日

ペルー旅行のこと(1・クスコへ)

←淋しくて、風情たっぷり。クスコの坂道。


8月8日(土)日本を発って、アトランタトランジットで
やっと、リマに着いた。
20時間以上にも及ぶフライトは初めて。
既に夜中で、予約したホテルに泊まる。
寒くてどんよりした曇り空。

翌朝は、はてここからどうするのだろう?と
誰も返してはくれない問いを自分に向けながら、
周辺をとりあえず散策する。

教会に向かう途中のペルー青年と仲良くなって、
話ながら歩くが、彼はまったく英語ができないので、
指さし会話帳で、たどたどしく、
日本から旅行にきたことや、ペルーが寒いとか、
喋ってはみるが、うまく言いたいことが喋れない。。。

広場やショップなどちらっと見て歩くが、
ペルーの広さと見たい場所と日程を考えると
(飛行機の中で充分ガイドを読む時間があったので)
リマでうろうろ観光している場合じゃない!
と思い、お昼ごろそのままエージェントに行って、
「クスコに行きたい!」という。

バスだと25時間ぐらい?かかる。絶句!
フライト&ジェットラグでへとへとなので、
飛行機でさくっと移動することにする。
その日の行きの便と4日後のAMの戻りの便を
その場で押さえてもらう。

た、高い! 両方で200ドル以上。。。
でも仕方がない。
たくさんマージンを取っているんじゃないかと、
問い詰めたけど、ちゃんとHPの画面を見せて、
説明を受けて納得。
ハイシーズンで、
しかも即日便だから高くなっていたのだ。
手配料10ドルは別に払う。

というわけで、その日のうちに荷物をまとめて、
クスコへ旅立つ。
リマのホテルはチェックアウトが13時で助かった!

そして、物価は高くないけど、
ペルーの旅行は意外にお金がかかると実感する。

移動に国内便を使うと、
その分、空港への行き帰りにタクシーを使ったり
するわけで、また、
タクシーはオフィシャルに価格が決まっていたりするから、
いちいちお金が出ていく。

クスコでは、オステルと呼ばれる、
安い宿(1600円ぐらい)、の中では
ちょっとグレードが上?のところにチェックイン。
(あまり安いところは危険が多いらしいので)

さて、これから何をするのだ?
ということがまた降りかかる。。。
ということで続きはまたー

2009年8月27日木曜日

英会話・体験レッスン

英会話スクールを変わるために、
体験ハンターになっている最近。。。
大手はもう止めよう‥(高すぎて
またレッスンの質も疑問が残るので)と思う。
家から近くにアットホームなところも
あるんだけど、
イベントとか多くて、ちょっと楽しみ中心すぎるイメージだった。


昨日はイングリッシュビレッジの体験レッスンに行った。
マンツーマンで安い! 高い教材は不要!
レベルチェック20分+40分のレッスンを続けて受ける。
やっぱりマンツーマンはいいと思った。
自由にスケジューリングできるので、
多忙な時期にはお休みも可能。

きちんとテキストも使いつつ、
英文メール添削をしてくれたり、
個人個人にフレキシブルに対応してくれる。
テキストは、レベルに合ったものを選べる。

旅行なんかで異国の人と話すときと似た感覚で、
話したいことを丁寧にたくさん話せた感じ。
そしてたっぷり話した充実感がある。

いまのところは9月で切れるので、
ほぼ、ここのスクールに決めた。

ほんとに一から始めるときは、
丁寧なカリキュラムの
大手も悪くないと思うけど、
ある程度発音もできて、勉強法がわかっているなら、
大手の授業料・テキストは高すぎるし、
レッスンもちょっと物足りないものがあると思う。

2009年8月26日水曜日

日本語の不思議。

マチュピチュに向かう列車で、
イタリア人二人とヨーロッパのどこかの国の人と、
ことばのことを話していたとき、

「日本語は変わっているから、
(その日本語を最初に学んでしまった日本人は)
英語の勉強が困難で、身に付きにくい。。。」
ということにみんな納得していた。

「ひらがな、カタカナ、漢字という3種類の文字があり、
それをミックスして(使い分けて)文を書く!」
そんな特殊なことばはどこにもないのだ!!
私が持っていた日記帳に、
何か日本語を書いてみて! というから、

普通のスピードで、
「私は今日、ラーメンを食べに行きました」的な
漢字かなカタカナ混じりの文を、
ふだんの速さで(私は書くのがとくに早いんだけど)
さらさら書いたのだけど、
外国人たちは、目を丸くして驚いていた。

どこが驚きポイントかというと、
どうやって瞬時に、ひらがなかカタカナか漢字か
判断できるのか? どういう違いがあるのか?
ということだった。

カタカナは外来語が多くて、
名詞はたいてい漢字でもひらがなでもOKだけど‥
自分で選ぶことができて‥というような、
3種類の文字の違いと判断について、
なんとかつたない英語で説明したけど、
通じたのかどうか。。。

どちらにしても、
アルファベット圏の人が大人になってから
日本語を身につけるのは、
かなり難しいだろうと思う。

ちなみに、日本に来ているのに
日本語を勉強しようとしない外国人が
あまり好きじゃない、私は!

それと、旅行に行くのに
挨拶程度の現地のことばも勉強していかない人も
よくないと思う。。。礼儀として。

ことばは人とつながるための扉だから、
やっぱり上手とか関係なく、
取り組む姿勢は大切だと思う。

2009年8月25日火曜日

ピンクのトートバッグ

510日。なつのおわり。
処理することがいっぱい。
振込書類報告書類連絡振込。
合間にリフォームの見積もり。
夜は英会話。

お金は湯水のように出て行く。
出て行くときは同時に、
入ってくるときなので最近あまり、
不安に思わないようにすることにした。

というわけで(?)
プリティなピンクのトートバッグを買う。
ポールスミスので、持っているポロシャツと
お揃いのシリーズ!!

2009年8月24日月曜日

as time goes bye

夢って、
昔の光景を見たりすることが多いけど、

どんなに楽しかった記憶と
つながっていても、

もう会えない人にたとえ夢で会えても、、、
目覚めたあとには何か淋しい。
ぽっかり何かを失った感覚しか残らない。

なぜか、夢は、
古ければ古いほどせつない。

時々、自分が子供だったり、
親が30代だったりする夢を見る。

いちばん最初の自家用車で、
溌剌とした父が運転していて、
助手席に乗っていたりするのだ。

そういう、自分だけの記憶って、
作り物の映画を観るのとは
比較にならないほど、
いまの自分の心を揺さぶるんだ。。。

2009年8月23日日曜日

久々のゆったりサンデー

帰国してから一週間が過ぎ、
やっと少し、気持ちの上でも落ち着いた感じ。

朝から、久々に、
「入門ビジネス英会話」を聞き、
その後、バレエのレッスンにも行った。
バレエは2週間ぶりで、
先生にも「お休みしてたよね!」と突っ込まれつつ、
頑張ってついていく。
しかし、いつもついていけてない。
みんな小さい頃にやってた人たちばかりだから。

でも、私は参加できるだけで嬉しい。
もう42歳だもん。
バレエをやってるだけで、嘘のように幸せ。


いよいよ、引越し準備に入らないと。
引越しの見積もり依頼をしたり、
荷物をどうしようかとか‥考えたりする。
火曜にはリフォーム業者と打ち合わせ。
14型ブラウン管テレビは買い換えるべきか?
何を捨てて、何を持っていくか。。。

2009年8月22日土曜日

ナスカ(続き〜英語のできないガイド)


地上絵を見るためのセスナ。。。
視界がクリアになるまで、
じっとこれを見つめて待った、
あの時間が思い出される。。。

というわけで、
地上絵は無事見ることができて、
(かなり近くを飛行したので、
はっきり絵は見えた!!)
迎えにきたガイドと合流したのだが、

今度は、、、
私が行く予定にしていたセメタリーまでは、
遠いから行けない。。。
と言われてしまう。
その日午後バスでリマに戻るので、14時までにバス停に戻る必要があって、
それは伝えてあった。

しかし、私はセメタリーに行くために30ドル払ったのであって、
近場の別の観光スポットに変えるなら少し返金して欲しい!

といっても、彼はエージェントじゃないから、
「わかった、それは後で文句言って、交渉する!」と言って、
別のスポットに向かったのだった。

しかも、彼はガイドといいつつ、
英語が全然できなくて、
「値引きしてくれ」とか
「行き先を変えるなんて聞いてない」とか
イージーなフレーズも理解しないので、、、
「ねえ、ガイドどのくらいやってるの?」と聞くと、
HOW  LONG〜 は彼にも分かったらしく、
「TWO MONTHS」という。
え〜2ヶ月かよ!!!! って感じで絶句。
だって自分より英語できないガイドって、
ありえないでしょ!!
英語ガイド兼ドライバーとして30ドル払ったんだよ!!!

仕方ないので、その場は仲良く楽しむことにして、
あとでエージェントにいろいろ交渉することに。
簡単な英語と、スペイン語の単語、指さし会話帳で
なんとか。。。しかし全く、遺跡の説明はしてくれないし。
importantも
are you having fun ?も
通じなかった。。。(笑)

でも、私は何事もポジティブ志向なので、
楽しく過ごすことにした。
そうするしかないじゃん!!
スペイン語少し使えた気分も味わったし、
彼がどんな風になりたいかとか、
家族の話とか、兄弟が11人いる話とか、
本当に面白かった、だから良かったことにした。

私を降ろした後、
鮮やかなオレンジ色のちっちゃなガイドさんの車は、
砂埃の中に消えてゆく。

バイバイ、ルイス!
旅は、そうして終わろうとしていた。

2009年8月21日金曜日

ナスカ(ペルー旅行報告その2)

最終目的地はナスカ。
ものすごくスタンダードに、
地上絵を見るために向かう。

クスコからリマにフライトで戻って、
そのままタクシーで高速バス乗り場に行き、
7時間かけてナスカまで移動。

最終日だし、目立つところにある、
自分基準では高めのホテル(といっても30ドル)に
21時ごろやっと着く。

そこで、日本人がトラブルにあったらしく
切羽詰って、保険会社・カード会社と電話していた。
(取材に使っていた)カメラ機材まるごと
盗難にあったらしい。
お金で保障されても、その金額で全てそろえるのは
不可能だから‥と言ってた。
データが別に管理されていたらしく、それは救いだ。

翌朝すぐに、
即目的達成のため、お金をけちらずに
フライトの予約と
墓地(を見に行くための)ドライバー兼ガイドを手配する。
全て送迎込みで、英語ガイドで100ドル。

フライトは天候の関係で2時間待たされる。
その間に観光できたのでは?と思うけど‥

そして、驚くべきことに、、、
乗客の8割がイタリア人、
ガイドはスペイン語7割、片言のイタリア語2割、
英語1割。。。。
何度も英語でお願い!!って叫んでも、
その時だけ「Hi everyone welcome to Nasca~」的な
適当な英語を2~3フレーズ言ってすぐに、
スパニッシュに戻ってしまうのだ!

とりあえず、地上絵は楽しんだし、
意味がわかんないってこともなかったんだけど。。。

あとでエージェントに、
ほとんどスパニッシュだった!
英語ガイドって言ったじゃん!と文句を言うと、
「だから待合室でジャパニーズムービー(NHKスペシャル)
を流していたじゃない!!」とか言うんだよ。

なんなのか‥とこの続きはまた追って。
写真をアップしたいんだけど、
まだPCに取り込んでないのだ。。。

2009年8月20日木曜日

不健康そうな男

午前中は健康診断。

ものすごく不健康そうな男の人がいて、
問診内容をこっそり聞いていたら、
「タバコを1日30本。
酒は毎日ビール5〜6缶とかかなり飲む。
検診はほとんどやっていなくて、
食事は朝は食べず、昼は2時ごろ外食、
夜は9〜10時頃外食か酒のおつまみ。。。」

なんかこの人、もうすぐ死にそうだな…と思った。
そして病院に来ているのに、
何度も大音量で携帯が鳴って、
(みんな迷惑しているのに)
合間に電話しに出て行ったり…してたけど、
本当にストレスがたまっていそうで、
一体何のために生きてるのかな?
と疑問に思う人物であった。

何が、どんな歴史が、
彼をここまで連れてきたんだろうか。。。
全く友達になれない感じの人だった。


午後は普通に仕事。
最近、面白そうな仕事の打診がいくつかあって、
なかなかいい感じである。

2009年8月19日水曜日

ミニストップのソフトクリーム

を久々に食べたけど、
ものすごく美味しい!

というかソフトクリームそのものを
3年以上食べてなかった気がする。

少なくとも冷凍ではなく、
柔らかいタイプのソフトクリームの
存在を忘れていた。

200円ぐらいするのは高いかな?と思うけど、
なかなかクオリティ高いと思う。

2009年8月18日火曜日

きょうの夜中に産まれた。

42歳になりました。

音信が途絶えていた、
とても大切な友達から連絡をもらった。

私の狭量なこころのせいと、
わがままや境遇のために、
距離ができていた時期があった。

そして、自分が前進するために
しばらく距離を取っていたところもある。

再会が楽しみ♪

2009年8月17日月曜日

ペルーから帰国

昨夜ペルーから帰国して、今日から仕事復帰。

移動距離と時間がすごかった。
バスや飛行機の乗り継ぎの関係で、
水曜夜からシャワーも入浴もしていなくて、
ボロボロ状態で帰国。。。

昨夜は倒れるようにそのまま寝て、
今朝早朝から洗濯と入浴、荷物整理などする。

熱いお湯につかれる幸せ、
勢いのある熱いシャワーがある幸せ‥
そして何より、危険な国から、
大きなトラブルなく、無事帰れた幸せをかみしめる。

とりあえずのペルーのポイント。

1、ペルーは寒かった。
(現地でフリースジャケットを買った。)

2、物価が安いわりにお金がかかる。
(国土が広すぎる。時間がないと飛行機移動などが必要だったり、
空港往復のタクシー代とかいちいちかかる。
一般市民の使う路線バスを使えるほど治安も良くない)

3、英語は本当に簡単な表現でも、一部の観光従事者意外ほとんど通じない。
(直前に仕入れたイージーフレーズと指差し会話帳がとても役立った)

いろんな意味で、旅に対する意識も変わったし、
ものすごく貴重で素晴らしい経験ができた。
空中都市マチュピチュの光景は、
本当にファンタジーの中にいるように
リアルな地上の場所ではないようだった。

しかし、ものすごく体力を消耗する旅になった。
ずっと移動していた気がする。。。
元気なうちに行けて良かった!

2009年8月8日土曜日

ストレッチにはまっている。

今日からペルー。

昨日は仕事のあと、
20時ごろからジムで軽くからだを動かす。

ストレッチみっちり
筋トレ3種
ランニング20分
アフターストレッチ

しかしストレッチを念入りにしすぎて、
右の股関節の筋肉を軽く痛めてしまった。
筋肉を痛めることはほとんどなく、
3回目ぐらいだと思うが。。。
気をつけないといけない。

何しろ、最近ストレッチにはまってしまい、
気づいたら1時間近くやってることも
あるので。

最近、からだの中、筋肉から
答えが返ってくるようになって、
なんだかからだとの対話が面白いのだ。

かわいがってあげると、
誰でも、何だって答えてくれるのだ。
ではではー

2009年8月7日金曜日

夕立ち

夕方、急に暗くなって、
雨がざっと降り始めた。

小さい頃は、夏の時期
しょっちゅう夕立にあった気がするけど。
小学校とかプールの帰り道。。。

でも、熱帯雨林のスコールは
もっと気持ちいい。

お金やらパスポートの携帯の必要がなくて、
薄い布一枚巻いただけで、
雨に当たることができたら、
気持ちいいのにな、とよく思う。

東京にいたり、仕事をしていたりすると、
傘も必要だし、
雨は本当にうっとうしいけど。

2009年8月6日木曜日

母子手帳。

昨日は、地元の友人とカレーを食べて、
いろいろ旅行のアドバイスなどもらう。

そして、彼が最近行っていたのは、
私が5年ほど前に訪れたタイのとある場所で、
あ〜これ見た見た!という場所の写真もあって
懐かしかった。

外務省のHPによると、
かなり危険なところに行く。
気を引き締めて、安全な旅にしよう。

命を粗末にするほど若くない。

私は、自分の手にしている未来の半分は、
両親が与えてくれたものだと思っている。
だから、
とくに海外に行くことのなかった母の分も、
世界を見てくる義務があるんだと思っている。

本当に、旅の前だから、
恥ずかしいことを書くけれど、
いま手元にある(母が私を産んだときの)「母子手帳」、
見るたびに泣ける。。。
これは私のひとつのお守り。

たくさん出血して輸血したりしながら、
命がけで産んでくれたことが、
ほんの少しの記録しかないのに、
ひしひしと伝わってくるのだ。

2009年8月5日水曜日

休暇前なので、

朝から休みなく仕事する。
9時半ぐらいから18時半まで、
ほとんど10分の休みもなく‥

夜はもちろんインドカレーを食べに行く!

2009年8月4日火曜日

英語で書くこと

休暇前で、仕事も立て込んでいる中、
仕事の合間に、リフォームの件やら、
管理費の件やら、旅の準備に悩殺されつつ、
英会話に行き、歯の矯正治療に行き…。

もっと時間があれば、英語の予習も十分にできたし、
授業を存分に価値ある物にできるのに…
と歯がゆい思い。

英会話は契約が切れる10月以降も、
何かの形で続けたいけど、
方法と時間の取り方は考えないといけない。

いま、ライティング&スピーチの添削も
ちょっとだけ受けているんだけど、
やはり書くのが最も面白い。

書くのは、英語についても
昔からさほど苦手ではなかったけど、
リスニングやスピーキングを勉強していることで、
自然に文章も出てくるようになってきた。

まだまだ、ケアレスミスも多いし、
子供のようなレベルだけど、
単語をつなげると文になって、
伝えたい気持ちに近づいていく感じは、
外国語でも同じ喜びがある。

英語を使う事への不自由さが、
まったくなくなることは難しいけど、
自然に読めて書けて、聞けて話せる。
そういう風になりたいなと思う。

しかし王道はない。
英語もダイエットも文章を書くこともなんでも、
コツコツ続けるだけ。
それだけが唯一の王道と言える。
そして実はゴールもないのだ。

どこまでやったって、
もっと上を見ることはできる。
だからこそ明日があるのかもしれない。

2009年8月3日月曜日

ペルー旅行に持って行く本

ぺルー旅行に持っていく本を決めた。

ガルシア・マルケスの
「予告された殺人の記録」
と短編集「青い目の犬」

ジョージオウエルの「1984年」

ガルシア・マルケスは、
南アメリカ文学ということで持っていく。
「1984年」は「1Q84」騒動で
新訳が出たので、これを機にゆっくり読む。

何しろ、行き帰りのフライトが
22~3時間×2あるのだ。。。

旅先では、歩いて、見て、
生きるとは何かとか、
死について、人について
自分についてなどなど、
思索してきたいなと思います。

2009年8月2日日曜日

太るのもなかなか難しい。

東京マラソンのエントリーがスタートしたので、
ネットで申し込む。

お昼にバレエのレッスン。
お昼は、クマリでエッグカレーとナン(小)を
食べる。

友達に痩せすぎだと指摘され、
ガンじゃないかとまで言われ、
少し太ろうと(筋肉をつけたいと)思って、
最近多めに食べるようにしているが、
逆に胃腸がオーバーワークぎみで、苦しい。

だいたい、満腹時のからだの状態が苦手。
頭の切れは悪くなり、眠くて、
ものが考えにくくなり、仕事ははかどらず、
やる気が落ちてしまう。。。

やはり無理はよくない。。。
しかし、ほどよいところは難しい。

2009年8月1日土曜日

アラフォー6人でプチ同窓会。

大学の同級生6人で集まる。
そのうち4人は未婚子供なし。

4時間以上、ただただ飲み食いして、
喋りまくる。

置かれている状況もいろいろ、
それぞれに大変なことは抱えているけど、
みんな元気でパワフル!

いろんな意味で、とても恵まれているんだろうと
思うけれど、だからこそ、
まだまだ先に、もっと有益な
生きた証のような何かができるはずだという、
焦りや思いを、捨てきれずにいる。

そんな風に、力強く前を向いて進む、
みんなが大好き。
そして、ベースの場所が同じの人たちといるのって
楽だな〜とつくづく思う。
いつもいつも元気をもらう。

8月にはもっと大がかりな同窓会。
そして秋には鍋会など計画。

同志がいると年を取るのも楽しみ。
これを85まで続けたいものだと思う。