2009年3月24日火曜日

どこにいても、まるで自分の家にいるように、

入浴読書で読んでいた「死の家の記録」は
もうまもなく読み終える。

物語のラストの方、
「八、仲間」という章のなかで描写される、
アキム・アキームイチについて。

彼は監獄に送られたにも関わらず、
すっかり自宅のように道具類を設えて、
また自分のペースで心を乱さずに暮らす。
もろもろの事件に対しても、激情したりもせず、
平穏に、まるで自宅にいるようなのだ。

ということである。

いつも、こうありたいと思う。

たとえどこで、何をすることになっても。

病気の親につきそって別のところに住むとか、
仕事や家を失って公園が家になっても、
監獄に行くことがあっても、
(人の運命は分からないから、罪を犯さずとも
ある日突然冤罪の嫌疑をかけられて、
疑いを晴らせないまま…という人生も
可能性としてはあるのだ。もちろん、
犯罪を犯してしまうという可能性だってなくはない)
ホテル暮らしになろうとも、
豪邸を建てて住むような暮らしになっても、


とにかくどんな風に環境が変わろうと、

人に迷惑をかけない範囲で、
その場所のルールを守ったうえで、
自分のペースで、まるで自分の家にいるように、
普通に小さな幸せを見つけながら、
楽しく暮らしたい、
と思っている。

しかし、そういう人は端から見ると、
ものすごく腹が立つんだそうだ。。。
なんとなくその端から見ている人間の気持ちもわかるよなあ。

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