2010年10月17日日曜日

吉祥寺コピスへ/読書は友との対話のようなものだ

伊勢丹の跡地に、週末オープンしたばかり。

昼に高円寺である試験を受けて、
その後向かった。

今まで、豊洲のららぽーとまで行かないと
買えなかったアクシーズファムが出店しているのが
まじで嬉しい!!
これからセールの時も気軽に行けるし、
本当に助かる。

そしてコピスにはジュンク堂も入っていて
なかなか良い。

しかし人が多すぎて、
目的の場所だけさくさく見て、
買い物して帰った。

夜、お芝居を観るというプランもあったんだけど、
ちょっと体力的に無理だった。
当日券に並ぶ予定だったので、まあいいんだ。

夜は、ひとつ大きな試験が終わったので、
たまっていた本など読む。
最近なかなかじっくり時間が取れないんだけど、

小川洋子氏の新刊とか、
新潮クレストブックスの読んでないやつとか、
チャンドラーの村上訳「さよなら、愛しい人」も買っただけで未読だ。

吉田兼好は、書物を読むことを、
「昔の人を友のように思って、交流するような経験である」
と言ったけれど、
古典を読むのはまさにそうで
賢い人の見解や驚くような独特の考えを聞いて、
脳内のセルフコミュニケーションによって
自分の物差しを固めていくような感じがする。

現代の作家ならば、それでもやはり、
自分とは違う視点、経験や特殊な世界を
少し著者から分けてもらいながら、独自のイメージを
勝手に頭の中で対話しながら付け加えていき、
新しい世界や見方を獲得していく。
それを経て新しい自分に上書きされる。

面白くていつも柔軟な友達と会っている時間と
同じように刺激的なものだ、と考えている。
(ま、当たり前のことを書いているんだけどね)

やはり、ただ受け身のエンターテイメントとは、
質感が違うと肌で感じる。
本を読む時には、基本的に
自分で物語の映像を造らなくてはならない。

母が、テレビやゲーム、漫画を禁止して
育ててくれたことに、今はとても感謝している。
学校では流行の話題にまったくついていけず、
いじめの対象にもなったけど、
そういうこともすっかり過ぎてしまった。

生返事でうまく話を合わせてうなづいたりしていた、
かわいそうな自分が、時々甦ったりもするんだけど、
今となれば、すべてが正解である。

0 件のコメント: