2012年4月20日金曜日

五感の外にある感覚のこと

少し長くなるが、スピリチュアルなものへの自分の考えを
書いておこうと思う。

実は、スピリチュアルなものやその領域に属する物を、
特別な物として捉えていない。

星占術やタロットや、気、オーラ、レイキ…
ほかにもいろいろあると思うけれど、
すごくはまっているわけでもなく否定的でもない。
さらに信じて神聖化してもいない。

一方、
スピリチュアルなことについて妄想だと否定したり
ネガティブな印象を持っている人の気持ちも
わかるし、それはそれでいいと思う。
ただ、体験してみないと分からないこともあると思う。
その上で、「自分はまったく効果を感じないし
必要もない」とするならそれでいい。

しかし、そういう否定一辺倒の人は、
一瞬で消えてしまう音楽を聴いて効果が分からない、
という風に言っていることと同じだと、私は考えるし、
そういう生き方はちょっとつまらないとも思ってしまう。
(これは本当に私感だが)


精神世界を身近に感じることは、
今のような頭でっかちの生活になる前は、
普通に暮らしの中で多くあったものだろうと思う。

今の生活では、それを受け取るために
環境を整え、心を調整する必要がある。
余計な物に囲まれすぎていて。

それと、スピリチュアルなものに向かう姿勢も大切。
産まれながらにサイキック的才能がある人もいるのだろうが、
たいていは訓練によって開花されていくのだと思う。
集中力や見たいと思う気持ちによって。

しかし、感じられるからすごいのでもなく、
感じられないのがダメではない。
人の状態や時期によってもかなり違う。

自分の場合、今は全くサイキック傾向はないが、
切羽詰まって、精神的に病んでいたときは、
実際、何度も不可解な体験をしたし、
妄想と現実の境をさまよっていたこともあったと思う。
そうやって人は、自分で自分を癒していくのだし、
だからこそ、
物語や音楽や絵やメッセージなど
形のないものや説明できないものが媒介として必要なのだろう。

そこに自力で行けるときもあれば、
人の力・導きを必要とすることもある。
困ったとき、誰かに話すと楽になるのと同じように。

だからヒーリングなんて、
家族と会話することや、からだを動かすこと、
音楽を聴くことと、ほとんど同じ行為だと思う。

ただ、そこにずるさや邪悪さが入り込むと、
犯罪性を帯びたりしてしまうこともあるし、
宗教がからむと、信念がピュアなだけに
人が全身ごとはまり込んで依存状態になってしまうこともあって、
危険な状態になることもあるだろう。
(これはヨガについても同じ)
だから怖いって人は考えるし、疑いの目も必要。

自分は、普通にあることとして、
平等な目で、受取り手に自由を委ねて
こういうものとつきあっていたいし、
自分が受取り手になるときは、信仰という鎖に繋がれたくはない。
つきあいかたのバランスを大切にしなくてはならない。

ここ最近は、自分がヒーラーの素質というのか
そういうものがちょっとあるのではないかと思ったりしているので、
本業にするつもりはないが、 少し勉強して深めてみたいとは思う。

五感の外にある感覚

自分が、そしてあなたが、この世界で、
何かを体験して、そこで
見えた物や、聞こえた物が全てだということだけは言える。
だから何が正しいかは、自分にしか分からない。

だから世界でたくさんいる導き手達が
どんなに非現実的なことを唱えていても、
否定するつもりもない。

人に深いところで出会いたいと思う。


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