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2012年9月9日日曜日

遠距離介護

みんなはどうしているのだろう。
朝、父から泣きが入って、
何か方法はないか考えるが、
答えはない。

自分の老後もあるから、
仕事を辞めることはできない。

結局はお金があれば何とかなるけど、
なんだか、割り切れない申し訳なさが残る。

2012年4月4日水曜日

4月2日から富山へ

所用があって予定外の帰省。
父と過ごす。
墓参り、将来のこと話しながら
少し過去を振り返ってみたりして。
自分の人生も、そろそろできることも限られ
カウントダウンに入ってきている。

昔からずっとだけど、
父の気持ちも理解できず
考え方の違いには未だに反発する。

父も75だし頑張っていたわっている。
私だけが頼りなのを知っているし
見捨てるわけにもいかないから。

帰りは3日の予定が、
暴風雨に当たって、
4日に延びてしまった。
新幹線は遅れて大変な思いで帰京。

2012年1月9日月曜日

遡っての覚え書き〜帰省2011→2012



※写真は実家の窓からの中央アルプス、同窓会のイメージ?


30日早朝から品川経由で羽田へ。
大雪で遅れながらも空路で向かう故郷。
実家にはほどほどに戻っているが、
年末年始に帰るのは久しぶりだ。



空港から市内に出て、昼食がてら
1時間以上はふらふらしたり
考え事をしてから実家に向かう。



本を読み、音楽を聴き、深刻にならないようにする。
ふと目に入ったリフレクソロジーの店で少しぜいたく。
これがかなり自分を助けてくれたらしく、
リフレッシュできた。

担当の子のひたむきさとか、技術以上の何かで
元気を分けてもらった。
もう一度滞在中に受けたかったが時間がなくかなわなかった。

自宅に荷物を置いて、
トモ(母)の施設に行き、介護士さんにお土産を渡して挨拶し、
ずっと答ない問いかけを、母にし続ける。

30分は一緒にいて、手を10分以上握り続けた。
トモの右手を、私の両手で包むようにして、
何かしらの声を探し続ける。

あなたは、死ぬのが恐いと言った小さかった私に、
「それはまだ、子供がいないからだね」と言っていたけれど、
私は今もまだ子供がいなくて、
でも今は自分より、あなたが死ぬのが一番怖い。

戻って一息つき夜は、中学の同窓会に行く。
卒業から30年の規模の大きなもの。
3割くらいは集まり、恩師も2人出席。

最初に交通事故とガンで亡くなった、
ふたりの同級生に黙祷する。

たくさんの時間が流れたことが
信じがたいようにわかり合える友人とも、

環境が違いすぎて、うまく
わかり合えなくなった小学校からの親友とも、

名前が出てこないあまり話さなかった
同級生とも、

親友のように仲良しだった担任とも

またどのくらい自分を出せばいいのか、
さぐりさぐり。


それでも再会に感謝したいと思う。

担任からは
「キミを忘れるわけがない」と言われ、
意気投合して、花束を渡し、
写真では隣にちゃっかり座る。

いろんな同級生がいるけれど、
総じて、こういう場には、
すごく成功した人とあまりうまくいっていない人は来ない、
という鉄則があるようで、やはり今回もその傾向。

なぜか小規模ながら事業をやっている人が結構いて、
そういう人々は、丁度、事業を親から受け継いで
3〜5年ぐらいになっていて、
とても立派になっているのが印象的。
たくさんの社員の生活を背負っている責任感みたなものが
まぶしいし、話を聞いていても面白い。

東京の会も小さく作った。

結局、みんなが大好きなので、
ずっとここに来れるように、
落ちぶれないように頑張ろうと、改めて思う。

結局3次会まで、日付けは既に大晦日であった。

そのまま元旦の朝まで、
実家にいたのだがその間のできごとは省略。

東京でゆるく新年をスタートさせて、
また元に戻ってゆく。

明日から本格的に多忙な日々だ。
とにかく、前に進み続けるのだ。

2011年4月2日土曜日

母が施設に入ります。

昨日、仕事を早く終えて、
ヨガやらダンスやら筋トレやらやって、
クタクタになってから、地元で飲む。

野菜の炒め物をがつがつ食べながら、
さくっと飲んで〜というつもりが、
隣の友達がどんどん注ぐので
気付いたら1時過ぎててかなりの酔っぱらい。

面接終わったから少し気が抜けたのだ。
ふらっとしてたので、タクシーで帰る。

これ、本当はつらい現実だけど書く。
書くしかないから。
昼間で二日酔いだったんだけど、
そんな状態で、父から
「母がもう通いの施設で介護は無理だから、
施設に入れることに決めたよ」と聞く。

そうね、ほとんど寝たきりだもんね。
ご飯すべて食べさせて、車いすで移動させて、
70代で面倒見るのはもう限界だよね。

父さん、ほんとよくやってもらった、ありがとう。
寂しいけど、もうずっと前から、
それを受け止める構えはできている。

どっちにしても、ふたりとも、
もうしばらくしかここ(地球)にいないんだもんね。
暖かいうちに会いに行くね。

母には、
やってあげたこと・できたこともたくさんあるのに、
できなかったことばかり悔やんでしまう。
・私の子供を見せられなかったね。
・教壇に立つところ見せたかったけど(無理かも知れないね)
・幸せな家族も見せられなかった。
・上京してからはこまめに帰省もしなかった。

でも与えられた物だってたくさんあるし、
母は私を大好きでいてくれたから、
小さくなったふたりのつながり、
最後までお母さんのことはちゃんとしてあげるから。
大丈夫だよ。

そんなこんなで、弟とも久々に話す。
栃木のプラントに釘付けで今週やっと帰れたとか。
家族の近況&頑張れよ〜って感じでさくっと話して切る。

2011年2月23日水曜日

何でもないことに深く感謝する

ミドルエイジになって、
改めて両親に対して、
普通の何でもないことに深く感謝する。

からだを丈夫に産み、育ててくれてありがとう。
根気強く野菜をたくさん食べさせて、
元々持っている健康なからだを、
より強く健やかにしてくれて。

その溜めによって、今の自分がある。
それだけで充分だ、と。
いつも寂しそうな父に伝え続けようと思う。

2011年1月16日日曜日

午後までぐったり/父の誕生日

昨日、朝から夜まで通しのハードな撮影だったので、
あまりの疲れにぐったり。
ジムにも行けなかった。。。
洗濯をして休んで休みは終わりつつある。

疲労は蓄積していくけれど、
まとまった仕事の実制作に入っていく、
この高揚感は、苦しいんだけど嫌いじゃないな。
もし春にこの現場を離れることになったら、
きっとものすごく寂しいだろう。

でも新しい場所には、新しい喜びがあるよね。

まだうまく、この先のことを決められないでいる。
もう心は決まっているのに、
制作の麻薬感と楽しさに、まだ少し後ろ髪を引かれている。

夜、父の誕生日おめでとう電話をする。
介護生活は、なかなかハッピーというわけにもいかないけど、
その中でも穏やかにいて欲しい。
母を預ける施設を探していくつか訪問予定だという。
長く家で母のことを丁寧に介護してくれた、
父に深く感謝している。

誕生日なのに、何もしてあげられなかった。
私には、ここで精一杯生きて行くことしかできないし、
それでいいんだと思う。
いつもありがとう!!

2011年1月10日月曜日

2011初のヨガ/成人式のこと

昼は英語。その他事務処理など。

夜は、レッスンという意味では、
2011初のヨガをやる。
特に今日は、からだと心と全力で向き合う。

からだの中には余裕が生まれ。
心の中は澄み渡って行く。

2011年も必死に生きて、
めいっぱい頑張って、笑って泣いて怒って、
最後には喜びが溢れる、
感動でいっぱいの一年にしようと思う。

ここに生きる奇跡にいつも感謝していく。
毎日毎日、今日で死んでもいい、と思って生きること。

というわけで、ようやく、
新しいページが始まった実感が沸く。
目標の一部を↓書いておく。

・楽器をやる(これは去年も書いた気が…)
・ハーフマラソン完走

ヨガをしながら成人式のこと、すこし思い出す。
今なら、子供が成人することが
親にとってどれだけ嬉しかったか分かるのに。
感謝の言葉も、晴れ着姿を見せて一緒に写真を撮ることも
しなかった。
今なら素直に、いくらだってできるのに。。。

当時は、自分がすべきことじゃないと思って、
サークルだの旅行だの、別のことに一生懸命だった。
でも若さってそういうものなんだろう。
もうどうにもならないこと。

そのあと、充分に親孝行をしたけれど、
あの頃、親の気持ちにどうして気づけなかったかと、
成人式が来る度に、思う。

人生ってそういうものだ。
そういう思いをまた、若い世代に引き渡していくのだ。

2010年12月4日土曜日

ran ran ran

飲み過ぎ&トレーニングさぼりすぎなので
30分走って、ストレッチ30分やって、
さらに30分走ってから岩盤浴をやって、
スペシャルデトックス。
トータル1時間走ったけど、
からだが重くて、やっとだった。
最近トレーニングに時間がさけていないから。。。

ぐったりして帰って、
家族を電話で励ましながら、
夕飯を取る。

友人と演劇のチケットの件をやりとりしたり、
夜はPCの前で。
ヤフオクでipadの入札状況をチェックしたり。。。

2010年11月7日日曜日

年に一度の義務

実家の親に会いに行き、
ねぎらいの言葉をかけ、
話をとことん聞いてやり、
なんでも「YES YES」と笑って過ごし、
心地よくなって頂いて、
おねだりのひとつでもして、
去っていく…という、

子供としての義務の3日を
無事に終えて帰京。
疲れるけれど、
あと数回しかできないことなのだ。
最後までちゃんと務めようと思う。

なんでだか最近、
帰り道、駅について東京の家まで
もう少しってところで、
ここ2〜3年はいつもいつもなんだけど、
ぽたり、ぽたりと落ちたかと思うと、
ぽたぽたと落ちる涙粒が増えて、
速くなっていく。

声はあげない。
家に着く頃にはちょうど涙は止まって、
家でそのぐしょぐしょの顔を
ぬぐう。

それから荷物の整理をするのだ。

2010年9月24日金曜日

なかなか

落ち着いて更新できない。
1週間経ってしまった。

とりあえず、目の前のことを
なんとかやって前進。

休みの日に電話で父と話したら、
いつもより元気でほっとした。
93歳まで生きるつもりだと言っていて、
ちょっとおののいた。

そうすると、私が父の葬式を出すのは、
63歳ということになる。
自分が生きてるかしら…?
とりあえずそれまでは生きて、
無事見送らなきゃね。

2010年7月19日月曜日

海の日に、


初開花!

蔓がものすごいことになってます。

懐かしのアサガオ栽培。

小学校一年以来かな?

ちょうど一学期が終わる頃に、
ぎりぎり咲くくらいなんだよね。

学校からの長い帰り道、
鉢を持ち帰るのがつらくて、
途中で、どこか道ばたにでも植えて
帰ってしまおうかと思ったけど、
頑張って持ち帰った。


花が咲いていて、お母さんに見せたかったから。

母は花を育てるのが好きで、
家でもユリとか菊とかいろいろ育てた。
よく学校に持っていって、と
朝切ったばかりの花束を渡されるのが迷惑だったけど、
いい子の私は、逆らわずに持って行く。

片道、1時間かかる通学路だっていうのに。。。

でも、先生もみんなも喜んでくれて、
花を持っていくって言うのは良かったなと、
学校に着くと思った。少し恥ずかしい気持ちもあったけど。

そんなわけで、
小学校時代はずっと、花を持ってくる子だった。

母がそんな風にして育ててくれたので、
今も、いや特に今は花はいいなと思う。

はかなくて美しくて、
すぐに去っていくところ。

2010年5月3日月曜日

家族との関係に未だに、

悩んでいることに、
全くもって驚いてしまう。
自分ではつきあう方針や会う頻度など
決めて、肌になじませたつもりだったけれど。

それは、どれだけ距離を取って、
どう関わろうかいつも考えているからであり、
きっと、他の家庭と比べて、
関係が悪化しているわけではないと思う。

実家とどのくらいの頻度で連絡を取るか、
ということをざっとネットで調べてみたが、
用がないと特に連絡しないとか、
年に2〜3回とか、
そういう程度でも、お互いが心地よければ
うまくいっているところもあるみたいだ。

私はほとんど毎週、
父からの電話を受けて、
話を聞いてあげていたけど、
それで十分に孝行をしているつもりでいた。

あとは、父母の誕生日や父母の日、
お歳暮などのときには、いつもではないが、
贈り物やハガキ、電話もこちらからする。
年に一度3日ほど帰って一緒に過ごす。

お金で迷惑はかけていないし、
自分の仕事や悩みなどは、
言ったところで理解してはもらえないので、
ほとんど話さず、
父の話に合わせて頷いている。
そして、お礼をして褒めている。

父はきっと、
みんなが家族と過ごすようなGWに、
淋しさが増してしまって、
心が不安定になっていたんだと思うけれど、
それをかなりぶつけられてしまう。
(携帯にまで電話をかけてきて、
「ちっともお前からは連絡をくれない…」とか
嘆いていたけど、父は以前、
「こっちから電話するからしなくていい」と言ってたくせに…)
なかなかうまくいかないものである。

心療内科で少し話を聞いてもらったらどう?
と言ったことも癇に障ったのだろう。
(いや、でも本当に行って欲しいんだけど)
後味が悪かった。

でも本当に、何もできないのだ。
申し訳ない。
迷惑をかけずに生きて行くことしか。
ごめんなさい。

5月から、隔週で私から電話を入れる
ことにします。
決めてしまわないと、
電話が苦手なのでなかなかできないのだ。
せめてメールをしてくれればなあ、と思う。

もう少し、東京に住む私や弟以外の、
住んでいるエリア周辺で、
話したり一緒に過ごしたりできるような人間関係を
少しでも築いて欲しいけれど、
なかなか難しいみたいだ。

ひとりぼっちで寂しい、寂しい。
そういう風に言われても助けることは、
少ししかできない。

愚痴っぽくなってしまいました。
ごめんなさい。でも、
私は冷たいのだろうか?

2010年4月12日月曜日

きっと、私にしか話せないのだろう。

あとからあとから溢れる、
弱音や、日々の生活のこと、
これからの不安や、自分ががんばっている事。

週末、父からの電話を取ったら、
たいていずっと、
その話に相づちをうつことになる。
私にはそれだけしかできないから、
ずっと聞いて相づちを打ち、ただ褒める。

人がずっと生涯を通して幸せに暮らすことが、
いかに困難なことか、
そういうことを考える。
お金の不安はなく、家があり、
子供は優しく、孫もいる。

幸せなはずなのに、
でも年を経てからの幸せは
人との比較ではもう得られない。
その人が戦いながら育んできた強さで、
常に獲得し続けていく物だ。

感謝はしているけど、
父のことを弱いなと思うし、
ああ、男だなと思うし、
愚痴っぽいところが嫌いだ。
でも家族だから、最後まで面倒を見るしかない。

そして、私という存在が、
父のほっとできる場所にはなっているはず。

私自身が、子供もなく、
生きて稼ぐ目的を見失いがちな日々で、
父の存在は、自分をこの世界につなぎ止める
もやいになっていると思う。
少しは感謝をしよう。

春になって、生活は少し落ち着いた。
まだまだいろんな変化についていけていないけど。

2010年3月22日月曜日

野菜ばかり食べている。

あ、、、全てが中途半端で連休も終わる。

でも、玄米を炊いたり
新玉ねぎのマリネ作ったり、
にんじんを炒めたり、
そういう食生活でデトックス中。

しかし、今週もなぜだか
もろもろ約束が多いのだった。

父と電話で話し、
止めどなく出てくる話をただ聞き、
なんとか元気づけて、
(しかしなかなか難しい。。。
これは家族でないとできない。
友達ならとっくに見捨てている)

その後、弟とも近況や家のことなどを話す。
父も含めてうちに集まる話など。

連休があったので、いろんなことが、
フラットに戻って、疲労も取れた感じがする。

明日もまた、新しい場所に踏み出していける。
と言いたいけど、めちゃ普通に、
昼間原稿書き、夜は初校戻し予定。。。

2010年3月7日日曜日

10キロ走る。

朝の9時からジムに行って、
遅めにだらだら走る。
「走っていない気持ちで続けるのが、
長く走るコツ(?)だ。」
ということを走りながら思いつく。

家でのんびりしていると思いこみながら走る(笑)。

それから、何事も、
朝の9時から行動する。
これが一日を長くするコツ。

朝5時、6時からだと睡眠不足で、
途中疲れて、眠くなったりして結局効率が悪い。

軽く午前中からがベスト。
だけど10時だと遅い。8時前に起きて、
9時からというのがミソ。
午前に3時間ある。

ともかく、
10キロ完走は初めてかもしれない。
レースの1週間前なのに…。
1時間26分かかってしまった。
遅い。遅いけどこのペースで大丈夫。
誰かと競争するために走るわけでもないのだ。

イヤホン型プレイヤーは快適!

それからバレエのレッスンに参加して、
買い物いろいろしたり、
iPhoneリサーチなどなど。

持ち帰りの仕事や課題など、
帰ってもやることが山積。
なかなか休めない。

父と30分電話。いつもの話題。
「もうそんなに生きられないんだから、
暖かくなったら、東京に遊びに来い」
と言う。

父を少しずつ暖かい目で見られるように、
変わってきている。
家族でも嫌いなところがあって当たり前だと、
思うようになった。

若いときには、
多くを望みすぎていた。

2010年3月3日水曜日

ひな人形がしまってある箱

開かずのボックスになっているんだけど、
今も生家にある。

3日前ぐらいに父と話していて、
「今度こそ空けてみよう」と言い合う。
「カビが生えているのでは?」
「最後に防虫剤を入れたのはいつ?」など
ふたりで突っ込みつつ、楽しみでもある。

飾れる状態ならいいなあ…
今度(いつか分からないけど)帰る時の
一大イベントになりそう!

小さな自分が、母の隣に座って、
一緒に組み立て(?)たときの映像は、
今も鮮明に覚えている。

2010年3月1日月曜日

今日は

母の誕生日。

たくさんの手紙、
仕立ててくれた着物、
毎日のご飯や、
一緒にいてくれた日々の記憶。
褒めてくれたことと叱ってくれたこと。

いまの自分を支えているそんなものたちに
ありがとう。

今日のランニングは、母に捧げます!

2010年2月1日月曜日

トモちゃんの長靴のはなし。

忘れたくないから、ここに書いておくこと。
雨の日によく思い出す話。

母は、産まれて間もなく、
割と豊かな子供がいなかった寺院に
もらわれて育った。
母の母(祖母)と紛らわしいので、
ここではトモちゃんと呼ぶ。

トモちゃんの家は、
豊かではあったが、本当の親じゃないから、
したいことも言えず、欲しい物があっても、
我慢して育った、という。

貧しい時代で日常品などはあまり、
贅沢できるわけではなく、
いつも同じ恰好で学校へ行く。
誰もがそうだった。

ある冬の初めに、
新品の長靴を買ってもらった。
赤い、輝くようにピカピカの長靴だ。
雪国でも、裸足で学校に通う子もいるような、
そういう時代に、
嬉しくてとても大切にしていたのに、
走っていて転んで、釘に引っかかり、
早々に穴を空けてしまった。

トモちゃんはそれを、
言い出すこともできず、
でも子供だから、こっそり
新しいものを買うこともできない。

見つからないように、
隠して2〜3日経ってから、
母にも見つかってしまった。

叱られることもなかったし、
またしばらくして、
新しい長靴を買ってもらえたけど、
トモちゃんはひとりで心を傷めたことを、
ずっとずっと覚えていて、
小さな私に、何度か話してくれた。

もうこの話は、
私の心の中にしかない。

祖母はもういなくなった。
トモちゃんもそのうちいなくなるし、
私もいつかいなくなるのだ。

2010年1月24日日曜日

寒いながらも快適

なので、用がないと家にこもりきり。

買い物に一回行っただけで、
英語やって、メールやって、
読書して、音楽聴いて、雑誌読んで、
また英語やって(もうすぐTOEICなんだ)

先生に英語メール書いて、
ご飯の準備して,テレビとネット少々。

その間に、友メールとか家族と電話したり。
久々にゆっくり(?)できて休めたなあ。

父さんと話しているときよく思う。
まだ小さくて、父さんが大好きで
尊敬していて、スーパースターだと
信じていた頃の日々、
つい最近のことのようにフラッシュバックする。

そういう時間は、本当に短いんだけど、
今となっては宝。
4人で食卓を囲んだのもね。

あの頃、何かに閉じ込められている気がして、
窮屈だと思い込んでいたけど、
今の一人でいる自分の方が、
もっと強固な何かに閉じ込められている。

でも強くなった、それだけは確か!
だからココで生きていくんだよ。
大丈夫だから。

2010年1月1日金曜日

門松は冥土の旅の一里塚

そういうことわざもリアルに感じるこの頃。
新しい年がくるたびにまたゴールまでが
短くなったのだな…と思う。


3カ月ぶりくらいに会う元同業者Yちゃんと年越し。

しばらくうちで飲んで話して、
駅までそばを食べに行く。

そのまま地元のバーでちょっと飲んで、
常連さん達とカウントダウンやって、
近くの神明宮へ初詣に。
おみくじも大吉!!
でも周りの人たちもほとんど大吉。
そして大吉なのに…
待ち人は遅く、失せ物は出ない、
旅立ちは控えよ…とはどういうこと?

帰って眠り、朝はYちゃんを寝かせたまま、
朝9時半からみっちり1時間ヨガをやる。
クリパルのDVDを流しながら、
おおよそそれに合わせて。

それからYちゃんが起きてきて、
お茶飲みつつゆるく作ったお雑煮を一緒に食べる。


一緒に吉祥寺に出かけてパルコの初売りを見て回り、
くぐつ草で休憩して、ずっと喋る。
仕事とか家族とか、恋愛のことなど。。。

彼女といるといつも、たくさんの事を考え、
また自分にフィードバックできる数少ない友人。

そのまま彼女とはさよならして、
帰ってすぐ着替えて、
1時間走る。ゆっくりめで約8キロぐらい。

途中3〜40分のところで、
母のことを思い涙を溜めながら走る。
足腰がとても丈夫でよく一緒に山道を歩いた。
走っていると、いつも母と一緒なんだと思う。
このからだは母がくれたものだ。
だからもう淋しくないんだ、
そう思いながら走る。

帰って入浴してくつろぐ。
年賀状の追加返事など。

「一年の計は元旦にあり」
なかなか幸先のいいスタートだ。