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2011年2月27日日曜日

自己の中に本の世界を構築することは、自分の内側に遊びを作ること。

へナという自然由来染色剤で
黒髪に染めて、少しだけカットする。

久々に、ゆっくり小川洋子の新刊とか
芥川賞を取ったやけに重い小説を読む。

フィクション=小説を読むことは、
この誰でもといつでも繋がれて、
ネットでなんだってイージーに手に入る時代に、
とても時間もかかるし鈍くさいし、時代遅れだ。

しかしそこを敢えて選ぶならば、
自分の中に新しい世界を作ることが叶う、
内側に小さな余裕と遊びが産まれる。

2010年11月28日日曜日

『嵐が丘』再読中

鴻巣友季子訳。

レポートのために再読していたのだけど、
読めば読むほど、ぶきみで怖い小説。

しかし語りの形式や
対比が秀逸で、映像的。
演出テクニックがすごい!

細部にも工夫が行き届いていて、
時には形からはみだしていて、
読めば読むほどに味がある。

ラストシーンの美しさと静けさは、
日本の無常観にも通じるところがあって、
私はもっとも好きな場面である。

2010年11月4日木曜日

明日から実家

水曜は90分しっかりバレエの
レッスンを受けたので、
今日は、ゆるく休みながら自宅で仕事。

明日から日曜まで実家に行くのだが、
意外に、実家には誘惑が少なくて、
読書や英語なんかが、
けっこうはかどったりするのだ。
ま、やることがなく退屈なんですね。

最近なかなか、おちついて
本を読む余裕がないから。

しかし、入浴時のみ読んでいる
「赤と黒 下巻」はかなりドラマチックなことに
なっているのだが。
なにせ、風呂限定なので、話がなかなか
進まなくて。。。

まあとにかく、じっくり読みたい本を
持って帰ろうと思う。

今回は、仕事が切羽詰まってないので、
昨年のようにパソコンは持って帰らないのだ。
というわけでiPhoneでちまちま、
ネットを見ることになるかな。

2010年10月17日日曜日

吉祥寺コピスへ/読書は友との対話のようなものだ

伊勢丹の跡地に、週末オープンしたばかり。

昼に高円寺である試験を受けて、
その後向かった。

今まで、豊洲のららぽーとまで行かないと
買えなかったアクシーズファムが出店しているのが
まじで嬉しい!!
これからセールの時も気軽に行けるし、
本当に助かる。

そしてコピスにはジュンク堂も入っていて
なかなか良い。

しかし人が多すぎて、
目的の場所だけさくさく見て、
買い物して帰った。

夜、お芝居を観るというプランもあったんだけど、
ちょっと体力的に無理だった。
当日券に並ぶ予定だったので、まあいいんだ。

夜は、ひとつ大きな試験が終わったので、
たまっていた本など読む。
最近なかなかじっくり時間が取れないんだけど、

小川洋子氏の新刊とか、
新潮クレストブックスの読んでないやつとか、
チャンドラーの村上訳「さよなら、愛しい人」も買っただけで未読だ。

吉田兼好は、書物を読むことを、
「昔の人を友のように思って、交流するような経験である」
と言ったけれど、
古典を読むのはまさにそうで
賢い人の見解や驚くような独特の考えを聞いて、
脳内のセルフコミュニケーションによって
自分の物差しを固めていくような感じがする。

現代の作家ならば、それでもやはり、
自分とは違う視点、経験や特殊な世界を
少し著者から分けてもらいながら、独自のイメージを
勝手に頭の中で対話しながら付け加えていき、
新しい世界や見方を獲得していく。
それを経て新しい自分に上書きされる。

面白くていつも柔軟な友達と会っている時間と
同じように刺激的なものだ、と考えている。
(ま、当たり前のことを書いているんだけどね)

やはり、ただ受け身のエンターテイメントとは、
質感が違うと肌で感じる。
本を読む時には、基本的に
自分で物語の映像を造らなくてはならない。

母が、テレビやゲーム、漫画を禁止して
育ててくれたことに、今はとても感謝している。
学校では流行の話題にまったくついていけず、
いじめの対象にもなったけど、
そういうこともすっかり過ぎてしまった。

生返事でうまく話を合わせてうなづいたりしていた、
かわいそうな自分が、時々甦ったりもするんだけど、
今となれば、すべてが正解である。

2010年5月27日木曜日

「私人」

ブロツキイの1987年ノーベル賞受賞公演を
小さな本にしたもの。

大変に身につまされる内容であり、
表現とは何か、その危険性、
そういうことを深く考えさせられる本だった。

書くものだけでなく、
こころのすべてが、
そしてからだの全てが、
詩人だったのだろうと強く思う。

自分のよりどころが
ひとつの道を信じることだけ。

けどそんなに強くあることはなかなかできない。
だからごまかして、妥協して
生きて行くけれど、
彼のような、道なき道をゆく
こういう生もあるということを
肝の中に据えておくのは必要なことなのではないか、
そう思う。

2010年5月3日月曜日

ミステリー

の入門書、アガサクリスティー『オリエント急行の殺人』に手を出す。

新しいページをめくるときは、いつもわくわくするね。


2010年5月1日土曜日

踊りとは…?

とあるイベントで、フラ初体験。

パウスカートも借りて踊る。
初心者でもとりあえず形になるけれど、
長く、深く続けると、
たぶん神がかりのメッセージが、
からだから伝わるほどになるのだろう。

知識不足であまり詳しいことは知らないけれど、
笑顔で踊るにもかかわらず、
死の世界と自分に回路を作るようで
レクイエムみたい、と思う。

ダンスは概して、そういうものであって、
バレエもたいていこの世の場所ではないところに
行って帰る、ものが多いし、
「舞踏」というもののほとんどは、
負の力、ネガティブなものを含んで
からだから発信するものなのではないだろうか?

ただ元気、ポジティブ、生命力だけで、
人の気持ちを打つはずもないし、
心が震えることはないように感じる。

踊りは、タフな現実や生きることのきつい側面を、
外に力強く、波動を送って、
自分を、人を、世界を変えていく装置なんだな、
終えてから、
そういうことを考えていた。

夜戻ってからは、ずっと、
書棚を眺めては、
あの本をこちらに動かし、
また別の本を移動して、
作家ごとにまとめたり、
テーマでくくりを作ったりしていた。

書棚の本を、手に取ったり、
読んだり、並べ替えたりしているときは、
何より至福である。
肉が好きな人が、焼肉をがつがつ食べているのと同じって感じ?かな。

明日もたくさんやりたいことがある!
GW最高!!!

2010年4月18日日曜日

アラブ首長国連邦(?)

というところに、何故だか、
夏の旅行で一泊だけ立ち寄ることになってしまった。

何の知識もなかったけれど、
ドバイとかがある国らしい。

私が一泊するのは、アブダビという都市。
恐ろしく高いホテルばかりで
凹んでいたけど、
なんとか8000円ほどのホテルは
見つかりそうだ。。。

ああ、まさか
アラブ首長国連邦に行くとは
思いも寄らなかった。

しかし久久の更新になった。

週の後半はずっと、
営業周り(のようなこと)をしていた。

週末はずっと1Q84のBOOK3を読んでいた。
なんというか、
今は何も、うまく言葉にできそうもないので、
またいずれ。

2010年1月2日土曜日

カルチャー補給

さすがに寒い中、
走りすぎたかもしれない。。。
風邪?という感じでお昼頃起きる。

昨日友と話していて、
もしかして昨年私は映画を一本も見ていないのでは?
という恐ろしい(というほどでもないか)事実に気付く。
そんなに忙しかったのか。
「なんか暇だな〜DVDでも借りに行こう」そういう事が、
一度もなかったということで、
それはそれで悪いことじゃない。


手帳に、食べた物や読んだ本やイベントなど
日々詳細につけているのだけど、
いくら手帳をめくっても、
映画を見た記録が見あたらない。。。
演劇もライブも結構行っているし、
忙しい中本もかなり読んでいるのに。


一昨年は、記憶では以下3本かな(?)
映画館で「パコと魔法の絵本」
(役所広司が好きなのだ!)
DVD「善き人のためのソナタ」
(アウシュビッツの話。This made me cry.)
DVD「インランド・エンパイヤ」
(デビッドリンチのね。理解不能な部分も含めて楽しめた)

何であれ、年に3本は見たいなあ。

というわけで、久々にレンタル屋に行く。
一体何を借りて良いのやら…と思いながら、
ロバートアルトマンの「ショートカッツ」に。

そして、本屋で
「一階でも二階でもない夜」の文庫(堀江敏幸)
「めくらやなぎと眠る女」逆輸入の短編集(村上春樹)
の2冊を購入。お正月だから、少しは贅沢。


あ、それから元旦に友人と出かけたパルコで
「記憶のスパイス」(高山なおみ)という
旅&食の写真エッセイを買ったのだった。
これは本当に素敵な本!
中の写真を見ているだけで、
どこかの場所へつながってゆく。
心の底の記憶が、呼び戻される。
しかし高山さんも、ペルーに旅をしたんだ、
という事実を知ってちょっと嬉しかった。


本当は、今日から英語を必死に
勉強しなくちゃなんだけどね。。。
まあ風邪っぽいからOK。

2009年12月6日日曜日

にちよう

昼にバレエのレッスン。
クリスマスの曲を使い。
くるみ割り人形の振りを練習!!
ものすごくかわいい踊りで超〜嬉しい。
少女みたいに踊れるように、、、
もっと練習しようと誓う。

お世話になったお店から、
ザ・お歳暮「鮭」を半身もらう。
北海道産でおいしそう。
そして、実用的で本当に嬉しい。

でも花やフルーツも嬉しい。
宝石やブランドものはもっと嬉しい。
でも誰もくれない(笑)

そうそうゆっくり読んでいた「1984年」を
読了する。(昨夜かな?)
そう終わっちゃうのか…という、
無常観は漂いながらも、納得のいくエンディング。

最後の章は、実はちょっと泣いた。
変わってゆくこと、失ってゆくこと、
そして回想は、いつも悲しく切なく、そして美しい。
私も小さかった時の母を、しばし回想した。

風呂で読むもの、次は、
途中になっているトーマスマンの「魔の山」の続きから。
風呂で継続して読んでいくと、
いつの間にか読了するので、
タフめの古典などは風呂に限る!!

しかし…連日12月らしい忙しさ、
バタバタ感で過ぎていく。

2009年11月22日日曜日

ゆるい、連休の中日

ゆっくり休んだり、
掃除したり、
友達がきたり、
買い物をしたり、
ご飯食べたり、
久々に鍋物っぽい料理をしたり、
そういうのんびりした、
連休の中日。

お風呂で読んでいる「1984年」は、
後半戦で佳境に入ってきている。
これはドストエフスキーの「死の家の記録」と
イメージが重なり、
どちらが新しい年代に書かれたのだろうか?と、
ふと思う。

内容は重いが、本当に面白い、
記録と記憶、そして歴史というのは、
一体何なのか。真実はどこにあるのか・・・
そういうことを考える。

2009年9月21日月曜日

最近の読書(オーウェル氏1984年・藤原新也さんの新刊)

最近はほとんど毎日,湯船に浸かっている。

風呂が快適だということもあるし、

荷ほどきなんかでからだを癒すためでもあるし、

連休である程度時間があるからでもある。

風呂では、ジョージオーウェルの「1984年」を読んでいる。

早川の新訳版。

60年前に書かれたとは信じがたいほど、

読みやすく、テーマも現代にリンクする。

入浴中は、割と気が散らないので、
古典などを読むのに、
本当に大切な場所である。


ほかに最近読んだ本で良かったのは、
現代作家の新刊。

藤原新也「コスモスの陰にはいつも誰かが隠れている」
今までの著作とはかなり違う。肌触りが、
個人的な思いの方に寄っている。

相変わらず「死」についての
観察や考察は彼の大きなテーマであるが、
さらに深くまでのぞき込んだ感じである。

意識を、自分自身に寄せていくと、
今までに出会った出来事、人がふとよみがえり、
ふたたび回路をつないでくれるような、
そんなところを持っている本である。
そして、淋しさだけが残るわけではない、
何かすがすがしくて、吹っ切れる感じ。

私は、藤原さんの作品は、
印度放浪が文庫で出た頃から好きで、
かなり好んで読み続けている。
古い物では「東京漂流」という作品が好きです。

シャープでフェアな視点。
厳しさと優しさのバランス。
そのものを見る姿勢、書く姿勢は、
いつも、自分にとても大切なことを気づかせてくれるのだ。

忙しかろうが、海外旅行に行こうが、
入稿で切羽詰まっていようが、
本はいつも傍らにある。別腹ですね。

ほかに読んだ物で、書くほどではない本も、
あるけど、それはもちろん書かない。

2009年5月7日木曜日

上巻または下巻のどちらかしか読めない場合、

上下巻完結ものの物語、
とても興味があって読みたいけど、

もし、どちらかしか読めないなら、
どちらを読むか?

1、上巻だけで終わったものと思い込む。
2、下巻だけで上巻のエピソードなどは想像する。
3、結局、読まない。その本(物語)はなかったものとして忘れる。

私には3はできない。
1かなあ‥あとは、、、
仕方ないので自分で物語を作ります。

なんとなく最初に、とても重要な要素が、
あるんじゃないかと思うんだよね。

物語の〆方はいろいろ操作できるし、
いちばん意識的になりやすい部分かな?と思うし。

2009年4月23日木曜日

古典読書「魔の山」

お風呂で最近読んでいるのは、
トーマスマンの「魔の山」。(岩波文庫版)
いま上巻の3分の2を超えたくらい。
かなり暗い。

風呂が最も集中して、
どっぷり本に浸れるので敢えて、
ここに古典読書を入れているのだ。

ドストエフスキーを読んでいて、
そのあとに移行したので、
ついロシアが舞台かと思い込んでしまうが、
(テーマも内省的でロシア文学のようなのだ)
ドイツ文学なのだった。

環境により精神が蝕まれていくこと、
精神的なものがからだを蝕んでいくこと、
またその中に浸かっていくことの快楽と危険性。
そんなことを考えていた。

ハンスとセテムブリーニ氏が真剣に、
時間についての議論など始めて、
やっと物語りに動きが出てきたし、
面白い展開になってきている。

正直、上巻の半分ぐらいまでは、
かなり退屈でなかなか先に進まなかったのだ。

2009年3月24日火曜日

どこにいても、まるで自分の家にいるように、

入浴読書で読んでいた「死の家の記録」は
もうまもなく読み終える。

物語のラストの方、
「八、仲間」という章のなかで描写される、
アキム・アキームイチについて。

彼は監獄に送られたにも関わらず、
すっかり自宅のように道具類を設えて、
また自分のペースで心を乱さずに暮らす。
もろもろの事件に対しても、激情したりもせず、
平穏に、まるで自宅にいるようなのだ。

ということである。

いつも、こうありたいと思う。

たとえどこで、何をすることになっても。

病気の親につきそって別のところに住むとか、
仕事や家を失って公園が家になっても、
監獄に行くことがあっても、
(人の運命は分からないから、罪を犯さずとも
ある日突然冤罪の嫌疑をかけられて、
疑いを晴らせないまま…という人生も
可能性としてはあるのだ。もちろん、
犯罪を犯してしまうという可能性だってなくはない)
ホテル暮らしになろうとも、
豪邸を建てて住むような暮らしになっても、


とにかくどんな風に環境が変わろうと、

人に迷惑をかけない範囲で、
その場所のルールを守ったうえで、
自分のペースで、まるで自分の家にいるように、
普通に小さな幸せを見つけながら、
楽しく暮らしたい、
と思っている。

しかし、そういう人は端から見ると、
ものすごく腹が立つんだそうだ。。。
なんとなくその端から見ている人間の気持ちもわかるよなあ。

2009年3月3日火曜日

湯船で考えたこと

ジムにばかり行っていたので、いつもシャワーだった。
湯船に浸かるのは久々。
「死の家の記録」はもう残すところ少しになった。
囚人達の暮らしを読んでいて考える。
囚人のことに限らないけれど、

逃げてごまかして見ないふりして、
死んでいく人生と、

向き合って傷ついて這い上がって、
なんとか良くなろうと頑張り続けて、
死んでいく人生。


どちらも結局、苦しいことに変わりない気がする。
幸せなんてのは、つかの間の夢のようなもので、
最終的には老いて、弱って、いろんなものを無くして、
結局いなくなる。


ただ、前者の人生は、若いうちはなんとかなるけど、
年齢を重ねるにつれてつらくなっていく気がする。
そして、そんなには長生きできる気がしない。


違いをしいて挙げるなら、後者の人生の方が、
やり遂げた感、達成感、満足、
そういうものがあるかもしれない、けど
死んだら結局は無なんだけど。

ま、とはいえ
やっぱりやるだけやったな、と思って死にたいな。

2009年2月5日木曜日

読書は湯船で…

湯船につかる入浴はほぼ週に3回。
風呂の退屈さに耐えられないので、
たいていじっくり読書しながら入る。

風呂読書には、既に文庫になっていて、
多少濡れても買い直せて、
しかも難解だったり、長かったり、
日常生活とは離れた内容が向いている。

荒唐無稽にしか思えなかったカフカの「城」も、
愚かに転がり続ける若者の悲劇を
描いたケルアックの「路上」も、
難しすぎて挫折しそうだったフォークナーの
「響きと怒り」も…
すべて風呂の中だけで読了した。
風呂で読む物は風呂の時間にしか読まない。

分厚い本に望むときは、風呂でしか読まないのに、
いったいいつ読み終えるだろう…と思うが、
1ページをめくり始めると、
あとは、気づいたら読み終わってる、の世界。

風呂で何かをし始めたのは高校生ぐらいからで、
その頃は主に勉強だったのだが…
じっくり集中して物事を考えるのにぴったりなのだ。

今はドストエフスキーの「死の家の記録」を
読んでいて、1部が終わり、
ちょうど6割ほど読了したところ。

獄中体験と人間観察の記録であり、
後に生まれる作品の礎ともなる重要な作品だ。
題名を聞くと暗そうな作品だが、
そんなにシリアス一辺倒ではない。

囚人だけではなく誰もが持っているキャラクター、
人の弱さやずるさや多面性や賢さなどを、
鋭い観察眼で、冷静に描写されている。
しかも、クリスマスの演劇イベントのシーンなど
大変に面白いのだ。

今は週にトータルで4〜5時間程度になってしまった
貴重な読書時間。既に風呂がメインの図書室かも?
通勤時間も短いので通勤時に読んでいるものは、
なかなか読み終わらないし。

しかし、読書はあくまで読書。

人と会って話すことや、取材なり旅行なり、
現場に行って体験することに勝る時間はない。
運動にだって時間を割きたいしね。

ということを知った上での本好きでありたいね。
ただの本オタクなんて人生はつまらないしね〜

2009年1月23日金曜日

私にとっての小川洋子作品

昨夜遅く「猫を抱いて象と泳ぐ」を読了する。

決してハッピーエンドとは言えないのに、
読後感はさわやかだった。
きっとそれは、少し特殊だったり不幸だったりする人たちが
それぞれ、可能な中で自己の力を発揮し、
精一杯に生きたことが描かれていたからではないかと思う。

少しずつずれている人々の抱える寂しさと
ひたむきさに胸が打たれる。
本を通して、流れる静かなメロディと
リズムにもシンクロしていた素敵な時間だった。

小川さんの小説は、デビューの頃から、
ほぼ全て読んできている。

記憶や喪失、何かを損なった人たち、
歪んだ世界にいる人たち、死者との対話、
そういったテーマやモチーフが繰り返し語られる。

特に「沈黙博物館」や「密やかな結晶」はとても大切な作品。
短編であれば「寡黙な死骸 みだらな弔い」が好き。

残酷で、グロテスクで、背中の凍るような怖さを、
丁寧に言葉を選び、静かで透明な文章で綴られる。

ずっとデビューの頃から、
そういう姿勢やテーマ、文体にはぶれがない。

最近の3作ぐらいは、さらに、
温かさや度量の広さを獲得して、
より世界が大きく柔らかくなったと感じている。
(とても偉そうな言い方で申し訳ないと思うけれど‥)
だから、もっともっと好きになった。

人と明るく感想を語り合う作品でもなく、
もしかしたら、現実からの逃避であるかもしれない場所へ、
自分のためだけに潜る時間。
私にとっての小川作品はそういうものだ。


そういう、
誰ともうまく共有できない静かな小石のような部分を、
心の奥に抱えている人に魅力を感じる。
そういうものが全くない人はいないと思うけれど、
なんとなく陰(イン)の部分がなくて、
自己の内側の暗さや醜さを避けている人は苦手かもしれない。

なんだか、うまく説明できなくてもどかしいけど、
日々流れるブログの性質上、このままを‥

2009年1月19日月曜日

小川洋子さんの新刊ほか

小川洋子の新刊「猫を抱いて象と泳ぐ」を読んでいる。
相変わらず静かで美しいのに魂を揺さぶられる物語を書く
すばらしい作家だあなあ。
デビューの頃からずっと読み続けている作家のひとり。

小川作品の魅力については、またいずれ。

あとは、
昨日のNHKラジオ第二での藤原正彦氏の公演
「祖国は国語」が面白かった。

なんだかあっという間に一日も暮れた(~_~;)

2008年11月22日土曜日

風呂で、フォークナーの短編

入浴中に読むものがなくなったため、
既読のフォークナー短編集の中から「乾燥の九月」を再読。
原題は「Dry September」
新潮文庫版・龍口直太朗訳です。

フォークナーは大学生の時の英語教材だったので、
(日本語のものですが)折々読んでいるが、やっぱり難しいなあ。。。
20歳の頃は、良さどころか、テーマすらうまくつかめなくて、
しかも英訳の授業だから、もちろん英語を読むわけで。。。

しかしその後、少しずつ短編を読み、
長編を読み、理解できる部分が出てきて、
今ではすごいなあ…と。
heavy &serious &too hardだけど。
そして、彼の小説は難解で、
完全に理解できているわけでもないけど。

教訓は何も語られず、明るいエンディングもなく、
とってつけた無理な解決もなく、乾いた終わり方はいつもの通り。

ラストの章は、ものすごく素晴らしい。
リアルで、虚しくて、淋しくて。。。でも名文。