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2012年4月14日土曜日

長く音信不通だった仕事仲間と。

昨夜は10年以上会っていなかった、
かつての同業者(写真家)と再会。

お互いに長年の間には紆余曲折あったわけだけど、
30代後半あたりの仕事のピークの山を越えて、
立ち止まっている、または方向転換した感じ。


それぞれが、それあおれの形で幸せになっていて
良かったと思う。
頑張って生き抜いた、って感じかな。

しかし20代の頃に、仕事であっても
たくさんの時間を共有した人は、
友人のような 家族のような不思議な安心感がある。


若かった頃は、仕事とプライベートの区切りはあまりなくて、
仕事が遊びで、遊びが仕事につながったから
スタッフとも友人のようにつきあっていたんだな
と改めて思った。


たぶん広告関係に方法転換してから、
仕事とプライベートを分けていくように
なっていったようだ。


何はともあれ、もう会えなくてもおかしくなかった人と
再開できたことは、なかなか素晴らしいことなのだった。

2012年1月9日月曜日

遡っての覚え書き〜帰省2011→2012



※写真は実家の窓からの中央アルプス、同窓会のイメージ?


30日早朝から品川経由で羽田へ。
大雪で遅れながらも空路で向かう故郷。
実家にはほどほどに戻っているが、
年末年始に帰るのは久しぶりだ。



空港から市内に出て、昼食がてら
1時間以上はふらふらしたり
考え事をしてから実家に向かう。



本を読み、音楽を聴き、深刻にならないようにする。
ふと目に入ったリフレクソロジーの店で少しぜいたく。
これがかなり自分を助けてくれたらしく、
リフレッシュできた。

担当の子のひたむきさとか、技術以上の何かで
元気を分けてもらった。
もう一度滞在中に受けたかったが時間がなくかなわなかった。

自宅に荷物を置いて、
トモ(母)の施設に行き、介護士さんにお土産を渡して挨拶し、
ずっと答ない問いかけを、母にし続ける。

30分は一緒にいて、手を10分以上握り続けた。
トモの右手を、私の両手で包むようにして、
何かしらの声を探し続ける。

あなたは、死ぬのが恐いと言った小さかった私に、
「それはまだ、子供がいないからだね」と言っていたけれど、
私は今もまだ子供がいなくて、
でも今は自分より、あなたが死ぬのが一番怖い。

戻って一息つき夜は、中学の同窓会に行く。
卒業から30年の規模の大きなもの。
3割くらいは集まり、恩師も2人出席。

最初に交通事故とガンで亡くなった、
ふたりの同級生に黙祷する。

たくさんの時間が流れたことが
信じがたいようにわかり合える友人とも、

環境が違いすぎて、うまく
わかり合えなくなった小学校からの親友とも、

名前が出てこないあまり話さなかった
同級生とも、

親友のように仲良しだった担任とも

またどのくらい自分を出せばいいのか、
さぐりさぐり。


それでも再会に感謝したいと思う。

担任からは
「キミを忘れるわけがない」と言われ、
意気投合して、花束を渡し、
写真では隣にちゃっかり座る。

いろんな同級生がいるけれど、
総じて、こういう場には、
すごく成功した人とあまりうまくいっていない人は来ない、
という鉄則があるようで、やはり今回もその傾向。

なぜか小規模ながら事業をやっている人が結構いて、
そういう人々は、丁度、事業を親から受け継いで
3〜5年ぐらいになっていて、
とても立派になっているのが印象的。
たくさんの社員の生活を背負っている責任感みたなものが
まぶしいし、話を聞いていても面白い。

東京の会も小さく作った。

結局、みんなが大好きなので、
ずっとここに来れるように、
落ちぶれないように頑張ろうと、改めて思う。

結局3次会まで、日付けは既に大晦日であった。

そのまま元旦の朝まで、
実家にいたのだがその間のできごとは省略。

東京でゆるく新年をスタートさせて、
また元に戻ってゆく。

明日から本格的に多忙な日々だ。
とにかく、前に進み続けるのだ。

2011年1月10日月曜日

2011初のヨガ/成人式のこと

昼は英語。その他事務処理など。

夜は、レッスンという意味では、
2011初のヨガをやる。
特に今日は、からだと心と全力で向き合う。

からだの中には余裕が生まれ。
心の中は澄み渡って行く。

2011年も必死に生きて、
めいっぱい頑張って、笑って泣いて怒って、
最後には喜びが溢れる、
感動でいっぱいの一年にしようと思う。

ここに生きる奇跡にいつも感謝していく。
毎日毎日、今日で死んでもいい、と思って生きること。

というわけで、ようやく、
新しいページが始まった実感が沸く。
目標の一部を↓書いておく。

・楽器をやる(これは去年も書いた気が…)
・ハーフマラソン完走

ヨガをしながら成人式のこと、すこし思い出す。
今なら、子供が成人することが
親にとってどれだけ嬉しかったか分かるのに。
感謝の言葉も、晴れ着姿を見せて一緒に写真を撮ることも
しなかった。
今なら素直に、いくらだってできるのに。。。

当時は、自分がすべきことじゃないと思って、
サークルだの旅行だの、別のことに一生懸命だった。
でも若さってそういうものなんだろう。
もうどうにもならないこと。

そのあと、充分に親孝行をしたけれど、
あの頃、親の気持ちにどうして気づけなかったかと、
成人式が来る度に、思う。

人生ってそういうものだ。
そういう思いをまた、若い世代に引き渡していくのだ。

2010年4月29日木曜日

少し細長い形をしている。

今、住んでいる場所。

その両端には窓。

リビングに面した窓は、新宿の景色が見える。
もう一方、仕事場の窓からは、西の方、
天気が良ければ富士山が見える。


昼間、少し仕事をしてしまったけれど、
(急ぎの仕事のコピーの修正対応)
夜は早めに入浴して、
ワインとつまみとで音楽を流してゆっくり飲む。
さっきまでPCも遮断していたんだけど、
なぜかこれを書いている。。。

今日買ってきた本が傍にある。
柴田元幸の「ケンブリッジサーカス」
笑っちゃうぐらい軽いところもあるのに、
時々ほろりと、どこか深くて、
彼のエッセイはとても好きだ。

そう、それから今日は、
歌も歌った。

もう壁が薄くないから、
結構な夜更けに歌っても大丈夫。

10代の頃は歌をたくさん歌っていた気がする。
田舎すぎて、人がいないので、
夜更けに外に出て歌うこともあった。

湿った夜の空気の中で夜空を見上げたり、
海まで出かけて(ほんの5分だから)、
考え事をしたり、歌を歌った。

あの、若い頃特有の、
淋しさや苦しさからは解放されて、
こうして今、ここで思い出している。

学校の中でも、家の中でも、
勉強でもお金でも家の状況でも人間関係でも
なんだって一大事で、
悩んで考えてばかりだった。

どこに行って何をすればいいのかも
分からなかった。

あの頃が、今につながっていることが
分かればもっと安心できたのかな?
そうはいっても10代の頃のことは、
もう、箱詰めしてしまってあるけれど
最も大切なもののひとつだ。

いま、とりあえず、
ひとつの場所にたどりつき、
また、新しい場所に向かおうとしている。
かっこよく、のんびりと、
中年から老年に向かっていくのだ。

2010年3月12日金曜日

さよなら「能登」と「北陸」

風の強い日だった。

24年前、
大学生になるときに、
合格発表のあと入学手続きで、
上京したときも風が強かったことを
思い出す。


大学の寮に入れるのは、
4月に入ってからだったので、
安い急行で上京して
ホテル代を使わずに日帰りした。

3月26日、夜行の急行「能登」の
満席の自由席の床にしゃがんで、
眠ることもできなかった。

「能登」は今日で引退だそうだ。

もう一台、本日引退する、
寝台特急「北陸」は、
小学校6年の時に、初めて家族で
東京へ旅行した列車だ。

列車の中のカーテンで仕切られた
3段の移動するベッド。
寝台車に興奮して眠れなかった。

三越に初めて行って、宇宙博なんかを見た。

この時に、私は、東京を見て、
いずれここで生きて行こうと決意したんだ。

2010年2月1日月曜日

トモちゃんの長靴のはなし。

忘れたくないから、ここに書いておくこと。
雨の日によく思い出す話。

母は、産まれて間もなく、
割と豊かな子供がいなかった寺院に
もらわれて育った。
母の母(祖母)と紛らわしいので、
ここではトモちゃんと呼ぶ。

トモちゃんの家は、
豊かではあったが、本当の親じゃないから、
したいことも言えず、欲しい物があっても、
我慢して育った、という。

貧しい時代で日常品などはあまり、
贅沢できるわけではなく、
いつも同じ恰好で学校へ行く。
誰もがそうだった。

ある冬の初めに、
新品の長靴を買ってもらった。
赤い、輝くようにピカピカの長靴だ。
雪国でも、裸足で学校に通う子もいるような、
そういう時代に、
嬉しくてとても大切にしていたのに、
走っていて転んで、釘に引っかかり、
早々に穴を空けてしまった。

トモちゃんはそれを、
言い出すこともできず、
でも子供だから、こっそり
新しいものを買うこともできない。

見つからないように、
隠して2〜3日経ってから、
母にも見つかってしまった。

叱られることもなかったし、
またしばらくして、
新しい長靴を買ってもらえたけど、
トモちゃんはひとりで心を傷めたことを、
ずっとずっと覚えていて、
小さな私に、何度か話してくれた。

もうこの話は、
私の心の中にしかない。

祖母はもういなくなった。
トモちゃんもそのうちいなくなるし、
私もいつかいなくなるのだ。

2010年1月26日火曜日

初めての労働は時給400円。

もう24年ほど前になる。
18歳。
地元の喫茶店。

大学の合格通知もそのアルバイト先に
電話がかかってきて知った。

人生の一大事のはずなのに、
呑気にもバイトしていたんだった。

その場所でも、その後にも、
働くことで、いろんなことを
学んでいくことになるんだけど、
仕事歴を詳しく書くつもりもなく、
ただの回想です。

上京してすぐにしたアルバイトは、
居酒屋で時給600円。
大学が終わってから17時〜22時
週に3回働いた。

その同じ年の秋には、
もっと自分の能力を高く買ってくれる、
塾講師や家庭教師のアルバイトを見つけて、
時給で言えば1500円以上に上がった。


その後はお金の安いアルバイトは
しなくなったけれど、
喫茶店や居酒屋で働いて、
学んだことは結構たくさんある。
いいことも悪いことも、いろんなことを、
本当に乗り越えてきたんだなあ、、、と。

その後、さらに稼ぐ必要ができて、
水商売をするんだけど、
それはまた目的があって、
大学に行きながら「マスコミの専門学校」に
行くためだった。
月に10万稼いで5万は貯金して貯めた。

自分で稼いだお金で行った専門学校では、
たくさん作文を書いた。
いつも結構褒められてきていたけど、
ダメなところをシビアに指摘されてばかりだった。

新聞社志望の人も沢山いたし、
こんなに文章が上手な人が、
たくさんいるのか…と凹みまくる日々だった。
大学3年の頃だ。

それが実になったかどうかはさておき、
とりあえず広告・制作の仕事を未だに、
続けているわけです。

2010年1月24日日曜日

寒いながらも快適

なので、用がないと家にこもりきり。

買い物に一回行っただけで、
英語やって、メールやって、
読書して、音楽聴いて、雑誌読んで、
また英語やって(もうすぐTOEICなんだ)

先生に英語メール書いて、
ご飯の準備して,テレビとネット少々。

その間に、友メールとか家族と電話したり。
久々にゆっくり(?)できて休めたなあ。

父さんと話しているときよく思う。
まだ小さくて、父さんが大好きで
尊敬していて、スーパースターだと
信じていた頃の日々、
つい最近のことのようにフラッシュバックする。

そういう時間は、本当に短いんだけど、
今となっては宝。
4人で食卓を囲んだのもね。

あの頃、何かに閉じ込められている気がして、
窮屈だと思い込んでいたけど、
今の一人でいる自分の方が、
もっと強固な何かに閉じ込められている。

でも強くなった、それだけは確か!
だからココで生きていくんだよ。
大丈夫だから。

2010年1月16日土曜日

センター試験だったんだね。

人生の一大事。
私の時は「共通一次」。懐かしい。
そのせいでかポータルが重い、重い。。。

まだネットで解答が即時に見られない頃だから、
翌月曜に、クラス全員で採点したんだ。

クラスの95%は国公立志望だったから。
私も完全に、浪人できない国公立一本。

採点中に、英語と日本史結果がすごくて、
涙が止まらず、教室を出て行った記憶がある。
14の頃から決めていた東京行きは、
もう叶わないと思った。でも受験した。
そこから二次試験までの猛勉強は、
もう二度とできない芸当。
たぶんほとんど気が狂っていたはず。
※だって数3まで全て含む数学1教科のみだから。

で、今こうして、
東京の大学を卒業して、やりたかったことが
少し違った形にはなったけど、できている。

どこの学校に行って、誰と出会うかは、
本当に大切なことだ。

でも同時に、
どんな状況、アクシデントも、
すべてを受け入れて、自分が強くなれば、
どんな結果でもプラスに変えていけると思う。

そういう意味では、
受験がどうなっていたにしろ、
今の自分は、結局現在と近いところまで、
きていたんじゃないかと思う。

職種もほぼ決めていたんだし、
なんとなく、目的地までは
いろんな行き方はあるし。

私の持って生まれたものも、心のありようも
粘り強さや飽きっぽさなどのキャラクターは
あまりぶれないわけだから。



進研ゼミの広告で、
「この時期、めちゃくちゃ勉強するのがかっこいい」
的なコピーを駅で見たけど、本当にその通り。
頑張りすぎ、なんてない。
本当に受験の時しかできないんだと、
あとになればなるほど痛感する。

でも、もう二度と、あの頃、
体中から切っ先の尖ったナイフが生えていて、
中には胎児のようなナイーブな心があって、
虚勢を張りながら、
心の中は傷つき、毎日必死にサバイブしてた頃に
戻りたいかと言われると、
ごめん被る。

暴れ出してしまいそうな感受性を、
柵の中に押し込めておくのに必死だったんだ。
猛獣と猛獣使いを兼任して進む、
そんな17、8歳だった。

もう、あの頃に対する後悔はいっこもないけど。
きっと人が最も生きづらい年代何じゃないかな。
あの時期としっかり向き合い、
味わって、成長していけばなんとなく、
そのあとは大丈夫な気がする。

未来の種がいっぱい。
私はもう、ほとんど6割ぐらいは蒔いてしまった。

2010年1月6日水曜日

WHY? を突き詰める

ものごとってだいたい、

むかつくことでも、
だまされたことでも、
いじめられてるでも、
苦労を押し付けられるでも、
人が離れていくでも…

「WHY?」
を突き詰めればたいてい、
そこに答えがあるし、
または抜けることができる。


私は、小学生・中学生の頃、
いじめられて、何故かを考えて、
その理由がわかったら、
何をされても言われても、
まったく気にならなくなったし、
優越感さえ抱くようになった。

そうすると余計にいじめられるんだけど、
もう、自分の進む道が見えたら、
そういうバカを相手にしてる暇はなくなるんだよね。

ってことが、10代の頃に気づけば
楽なんだよね。

今でもたまに、
目立ちすぎたり、好きなようにふるまいすぎて
いじめに合うこともあるけど、

人の機嫌取ったり、顔色をうかがったり
親切にばかり時間を割いてるほど、
人生って長くないな、そう思います。
40代になったから、特に。

本当に好きな人と、本当に好きなことをして、
本当に好きな仕事をして、
本当に生きたい場所に行って、
ずっとずっとそうやって生きたいと、
これは理想だけど、切に思います!

2009年10月27日火曜日

市(いち)についてのスケッチ

詳しい時期は忘れてしまった。
母の育った家の話。

大きくは夏と冬と、
その間の春秋にもあった気がする。
週末だったか連休だったか、
2~3日ぐらい続く。

ふだんお客さんがぽつぽつの
呉服問屋は仕入れ客とお得意さんで
いっぱいになる。

みんなそれを、市(いち)と呼んでいた。
年末とかお茶会シーズンとか、
いわゆる何かの季節に合わせて、
たくさん物を仕入れてきて、
たくさん売るという日。
新作、お買い得品。
上客しか招待されない。

親類みんなが総出で手伝いにきて、
商品のディスプレーやら、
顧客対応やら、お茶だしやら、
いろんなことをする。

お店としては、ものがたくさん売れて、
そのお金で、お正月やら
次の季節の準備をする。

親族の小さな子供たちも、
親と共に集まって、
誰か大人が面倒を見るんだけど、
手に負えなくて店の中を走り回ったりしている。

市の時は、いつも楽しみで、
ハイテンションだった。
人がたくさんいて、
子供もたくさんいて、
おいしいものが食べられて、
出先だから、親は優しい。

とりわけ、小学生になった頃の、
木造の店舗から鉄筋3階建てに
立て替えた頃の市はよく覚えている。

人が、いつもの3倍ぐらい集まり、
にぎやかで、祖母も叔父も親族も、
普段着だけどおしゃれな着物姿で
たすき掛けなんかして、走り回る。

市の日の3日前ぐらいから、
店に山積みしてある贈り物の箱の中が
気になって、欲しくてたまらなかった。
帰ってゆくお客さんに、
ひとつづつ渡す「お中元」だったり
「お歳暮」だったりというやつだ。


どうしても欲しくて、ねだって怒られて、
何が入ってるのか聞いて
「子供が欲しいものじゃないのよ」と
返されて、結局もらえなかったし、
その時は、分からないままだった。

あとになって、
毎年決まったブランドのものを
贈っていると分かり、
ある年は海苔だったことも
成長してから知った。
やっぱり、な~んだと思った。


変形の五角形のような形で、
端にこよりのついていた値札。
客に仕入れ値がわからないように
カタカナの暗号で書いてあった。

毛糸の、編みこんだものを
何色もつなぎ合わせてある色見本。

正方形に格子に積まれた反物の山と、
季節ごとに変わる
帯や反物のディスプレー。
染色の見本帖など。
火鉢とか鉄瓶とかもあった。


ずっと昔に通り過ぎた映像が、
まだかろうじて一部だけ、
自分の中に残っていたりする。

2009年10月14日水曜日

選べない環境。英会話のことなど

大切な人たちが近くにいたけど
豊かではなく仕事もうまく行かなかった日々、

ある程度余裕はできて満足のいく仕事もあるけど、
大切な人たちはもう、近くにいない日々、

どちらかを選べるわけではなく、
ただ、その時その時のあり方を、
受け入れていくだけだ。

過去には過去の、今には今のすべきことがちゃんとある。


ところで、
英語の先生達(3人ぐらいが持ち回り)が、
私のレッスンスタイルを理解してきてくれて、
かなりよい!

なかなか準備していけないんだけど、
それでも、新しいアイデアを提案してくれたり、
そんなこんなでかなり楽しく、
厳しくやってくれています。
特に文章のコンストラクションをきっちり造り、
完成された文章で話す。それに重点を置いている。

「あなたが今、よく聴いているアーティストは誰ですか?」
と訪ねられたら、とりあえず、
「私が最近はまっているのは、誰々の音楽です。なぜならそれは〜。」と
完全な文章で答え、自分のアイデアで発展させていく。

忙しいからこそ、毎週行って
レスポンススピードをさび付かせないようにするのだ。

2009年10月4日日曜日

on SUNDAY

昼前、バレエに行き、
テイクアウトのインドカレー。

友達が来る。

・変わる政治
・男には女
・襲来し続ける黒船

そして、老後。

などについて話す。

仕事のコーディネートも少々。

父と電話。

夜は残っていたナンとまたカレー!
昼とは別の味。
レトルトのちょっと贅沢なやつ。

夜も少し仕事。

英語にはあまり時間を割けず。

お風呂。
亀の歩みのような早さで、
読み続けている、
「1984年」を読みながら。
記憶のあやふやさと危険さのことを考えていた。

散歩。

入浴したあとに楽な服装で、
散歩する時間が好きだ。

一人でも、誰かとでも。

季節や天候によって、
夜も毎日空気の匂いも違うし、
そこには、違う風が吹いている。

だから、あしたは、
自分の暮らしのことを考えたって、
もちろん、違う風が吹くのだ。

そんなことを考える。

小さい頃、テレビ禁止だった我が家では、
みんなでよく星空を見に、
夜、外に出た。

空を仰いで、星座の話をしたあの家族、
いまもどこかにいるといいと思う。

あの頃は、
今とは別の意味で、
とても幸せな時間だったから。


このブログは家族や大切な人に向けた、
ひとつの遺書です。
これについては、また改めて、
じっくり書くつもり。


ではでは
お休みなさい。

2009年9月8日火曜日

20年物の洗濯機よ、さらば。

スキを見て、洗濯機を買いに行く。

今使っているもの、本当に長く使った!
就職した時に、母が上京して買ってくれたものなので、
信じられないが20年以上。

当時、意外に奮発していいものを買ったのだ。
当時5万円ぐらいはしたはず。
そこまで長く使うと、母との思い出の品になっていて、
ちょっと手放すのは淋しい。
しかし、さすがに機能的にもつらいので思い切る。

こうして、人との記憶が伴った物は、
ひとつまたひとつと自分の元を離れていく。


しかし、18歳で上京した時に、
やはり母と選んだ、赤のボウルと白のザルは、
なんだか形見(母はまだ存命だけど)のようになっていて、
処分できない。

これを見ると、
大学に入って、初めて離ればなれになった
時のことを思い出す。
(やかんや鍋やお皿はもうないのに、
なぜかこれだけは手元にあるのだ)


母は入学式や上京の手伝いのために、
上京してくれていて、
このボウルとザルはその時に買ったもの。
買った店も、どんな会話をしたかも、
覚えている。

それから母が、
田舎に帰って行くのを見送った日のことも。
淋しそうな目を、背中を、くっきりと
今も思い出すことができる。


そして、今、
同じぐらいの値段で、
7キロ洗える、乾燥機能もついたものが買えた。
ものすごい進化ぶりに驚く!
もう一生使うぐらいの気持ちで、
大切に使うつもり。。。だけど、
こういう人ばかりだと、景気は回復しないよね。

2009年8月24日月曜日

as time goes bye

夢って、
昔の光景を見たりすることが多いけど、

どんなに楽しかった記憶と
つながっていても、

もう会えない人にたとえ夢で会えても、、、
目覚めたあとには何か淋しい。
ぽっかり何かを失った感覚しか残らない。

なぜか、夢は、
古ければ古いほどせつない。

時々、自分が子供だったり、
親が30代だったりする夢を見る。

いちばん最初の自家用車で、
溌剌とした父が運転していて、
助手席に乗っていたりするのだ。

そういう、自分だけの記憶って、
作り物の映画を観るのとは
比較にならないほど、
いまの自分の心を揺さぶるんだ。。。

2009年6月3日水曜日

クーピー(ペンシル)

という名前の文房具。
今も現役なのかな?
子供がいない私にはわからない。

色鉛筆のように消しゴムで消したりできて、
しかしクレヨンのように、
ボディも全てが芯というか、
太くてかまわないなら、
削らずに最後まで使える。

何より手が汚れないのがすばらしい。
そして、紙への着色具合がほどよくて、
とても便利なのだ。
今、見直している。

イメージボードを作るのに、
デジタルではなく手描きで作るのもオツ。
しかし結局、スキャンしてデータ化するんだけどね。

というわけで、クーピーはおすすめです。

2009年4月5日日曜日

新入社員のころ

大学を出て新卒として、
教育系出版社に入社した。

入社式や研修の頃、
「すべての価値観を捨ててまっさらな状態で、
仕事を覚えていってほしい」と、
誰か偉い人が言ったことを覚えている。

クリエイティブ系の仕事ではあったが、
今の何倍もとんがっていた私は、
顧客の顔を浮かべて、その対象に伝わる広告や、
告知ビラを作ることにうまく納得できず、
キャッチコピーやタイトルを何度も直されていた。

売り上げの事ばかり重視する企業の体質に、
反抗的な気持ちが先走って、
でも、やりたいようにやった仕事ではうまく成果も上がらず、
何度も何度も、
今までの価値観ががらがら崩れていったと思う。
(自分の価値観をわざわざ捨てようとしなくても、
考え方を変えざるを得ない事態は何度もやってきた)

そこから、いろいろなことを学んで、
自分の信じたものを、
人に納得させる術ももっとうまくなった。

それでも、新しいスーツを着て、
悔しくて時には涙を流して仕事に向き合った、
卒業したての青くてピュアで
やけに反抗的なのに、理論は脆弱な自分が、
今でも好きだ。

そこからスタートしたことを、
常に忘れたくないと思う。
あの頃の自分に恥ずかしくない仕事が、
暮らしが、今、できているだろうか。

2009年3月19日木曜日

夜中に起きていたりすると‥

昨夜、飲み屋で、ラーメンを食べて深夜帰宅。
気持ちが高ぶって眠れないとき、
潰えていった夢のこととか、ふと考えてしまうね。

高校時代に、
フルートを吹いていた自分の時間が、
結局、どこにもたどり着かなかったこととか。

プロになろうとか思っていたわけではないけど、
それでもなんだか寂しいよね。
結局、何かに熱中したりしても、
学生の頃のような気持ちでいられなくなってしまったことが。

あの頃、楽器に触れて音を出すと、
楽器が自分の呼吸や音を記憶していって
くれているように思えた。
一日音を出さないと本当に下手になってしまったし。

そして、なんとなく、ずっとフルートを吹き続けるような
錯覚も持っていた。

しかし既に吹かなくなって長い時間が過ぎた。
ひとりだけ、高校の部活が同じだった同級生で
トランペットを仕事にしいている人がいる(東京フィルに)が、
彼には彼なりの、音楽を仕事にしたことによる
寂しさや苦悩があるのだろうな。

2009年3月17日火曜日

どこででもなんでも2

昨日の続き。

25歳の頃、ロンドンに行った。
その時に見たものが、
「どこででもなんでも」の発端になっていると思う。

たまたま見たのかもしれないけれど、
ロンドンで、人々は、どこででもなんでもしていた。

普通に町中でキャンプ(ホームレスっぽくはない)したり、
ラジカセで音楽を聴いたり、
電車でご飯食べたり、
フルートやギターの練習をしたり(これは演奏活動というより、
本当に練習しているように聞こえた。
もちろん演奏活動してる人もいたが。)

貧乏旅行だったので、
食事もほとんどバーガーキングか
フィッシュ&チップスだったので、
私と友人は早速まねして、移動しながらの
食事が当たり前になった。
チョコバーみたいなものもよく食べた。
何しろ、食費は一日約300円だったから。

それで、何でだか、
帰ってからも普通に、
歩きながらや、電車での食事は、
全く平気になった。
というよりむしろ、夕飯以外は、
移動しながら食べた方が、
または何かしながら食べた方がよいとさえ思えてきた。

さらには、
「人に迷惑をかけなければ、
人から、どんな風に思われてもちっとも気にしない。
そんなことは、自分が好きなように生きることに比べたら
本当に些細なことだ。」

30歳ぐらいまでに、
この哲学を確立していくことになった。

18歳まで育った街は、
知り合いが多くて自分の行動で
家族が恥をかくこともあったから、
何でもするわけにはいかないという環境で育った。

でも東京は違う。
そんな風にして、私は好きなときに、
好きな場所で、好きなことを、可能な範囲で、
行う自由を得たのだった。。。
だからいつも、いろいろ持ち歩いていて荷物が多い。。。

随分、大げさな宣言のようになってしまったが。。。

2009年3月15日日曜日

中学生の時体操をやっていた。

中学生の時の部活で体操をやっていたんだけど、
それに至るにはいろんないきさつがある。

幼い頃、多くの女の子同様、
バレエに憧れて習いたいといったが、
習わせてもらえず、
母の実家が呉服屋だったためもあり、
何故か日舞ならよいと言われたが、
小さいときには古くさく思えて興味が湧かなかった。

(今は着物も和のもろもろも歌舞伎や能など
伝統芸能もすごく好きだしクールだと思うけれど…)

そして時は流れ、小学校4年生の時、
担任になった先生が、
大学を卒業したてで体操をやっていたのだった。

そこで体操という競技を知って、
市でやっている体操教室に通い始めた。
小学校の時のそういう経験があったので、
そのまま中学で体操をすることになった。

そして、小学校時代の器械体操風のものから、
音楽に合わせて踊る的なものになって、
よりバレエに近づいたのだった。。。
実際バレエをやっている子も体操部にいた。

結局は、「運動部に入りたいしかし
球技が全てダメ、剣道とか人と戦うものも苦手」
となると、体操か陸上ぐらいしかなかった。
陸上は短距離は遅くなかったが、
練習がきつそうだったので断念して体操。

からだが小さかったので体型は向いていたが、
酢を飲んでストレッチしたり、
カロリーを考えて食事したり、
少しは頑張っていたけど、
体型維持とかはとても苦しかったし、できなかった。
よくポテトチップスのやけ食いとかしていた。
体操をしていると胸などもあまり成長してはいけないんだけど、
それはいまだに成長していない。。。

あの頃に比べたら、
随分自分が変わったと思うけれど、
(特に決めたことをやりぬく意志は強くなった)

結局同じようなことを繰り返しているだけ
みたいな気がする部分もある。
ジムでヨガやストレッチしていて…
そんなことをふと思ったのだった。