
友人が出演する芝居を見に行く。
今年初めての鑑賞体験(音楽や映画など含む)。
昨年は、映画と舞台とクラシック(あれは、さらに前年?)
各1回しか行けなかったので今年はもう少し行けたらいいな。
できれば、生身の人間が演じるor演奏するもの。
久々に、ipodでコステロを聴きながら、
さらには久々に西武新宿線などに乗って向かう。
演目は「三日月のセレナーデー天に抗ったある老婆の潰えぬ記憶」
(ウンプ・テンプ・カンパニー第6回公演)
舞台は大正。現在では地下に埋もれてしまった都会の川縁。
そこに暮らす、何かしらバックグラウンドを抱えて生きる人々の物語。
さまざまな場面、人々が重層的に存在しえる世界で、
行動し考え、生き惑う人の姿が胸を打つ。
センチメンタルなのにユーモラス、そして悲しい。
生きることの困難さと不確かさ、醜さ。
世界も人もどんどん変わっていく。
今を、忘れていくのが怖い。
記憶はどこにいくのだろう。
言葉とは何だろう?
書き付けられた言葉だけがそのまま残る残酷。
境遇、運命、宿命、偶然で、
人と出会っては分かれ、人と関係しては離れていき、
いずれは無に戻ってゆく。
そんなようなことを考えながら観た。
私も、誰かに踏み台にされ、そして誰かを踏み台にして、
こうして今あるのだということも改めて考える。
役者さん達も良かったが、演出が面白かった。
どんなに役者が素晴らしくても、台本が素晴らしくても
(配役や美術や音楽も含めて)
演出がその最終的な仕上がりを決める部分は大きいと思っている。
板で造られた交差する通りのセットは印象的だった。
やっぱり刺激を、自分の意志でインプットしに
出かけることは大切だと思う。
摩擦なのか、発熱なのか、爆発なのか、拒否なのか、共感なのかは
出会ってみないと分からないけど、
必ず、自分の中のどこかが変化するから。
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